2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧
8月のデーターは、発電量227kWh+電力会社からの購入量191kWh-電力会社への販売量132kWh=わが家での総使用電力量286kWhであった。 8月としては過去10年間で最も多かった2002年と全く同じ値。2002年~2011年までの過去10年の平均205.4kWh…
この日はアンカラでの連泊となるので、約220kmほど離れた世界文化遺産の街サフランボルまでの日帰り観光というスケジュール。220kmというと日本ではちょうど東名で東京~掛川までの距離に相当する。 6時45分モーニングコールで各自自由に朝食を…
昼食後はハットシャシュ遺跡へ。ハットシャシュとは、ハット民族の住んでいた所という意味だそうだ。紀元前18世紀頃の古代ヒッタイト帝国の首都で、城壁に囲まれたロワーシティ(下市)と、紀元前14世紀頃に建設された大神殿を中心とした大神殿のあった…
パソコンに関してはMacintoshの頃から新製品に飛び付くのが早く、常に最先端のものに買い替えている傾向が強かった。それと同じくデジカメに関してもかなりの頻度で新製品に乗り換えることが多かった。しかしながら、こと携帯電話に関しては極めて…
早朝の熱気球のオプショナルツアーからホテルに戻ったのが7時頃。部屋に戻らずにそのままレセプション奥のレストランへ行き朝食。バルーンに乗る前に軽食を摂っていたのでフルーツなど軽めに済ませた。 バルーンツアー後のホテルでの朝食はジュース・ヨーグ…
今回のツアーを申し込んだ後で、オプショナルツアーでカッパドキア気球ツアーというのがあることを知り参加するかどうかで悩んでいた。というのも朝5時からの催行という早朝開催がネックであった。結局出発したときには申し込みを断念したのだが、3日目の…
この日は終日カッパドキアの奇岩巡り。午前はギョレメ渓谷と岩山の洞窟民家。洞窟レストランでの昼食のあとショッピング。そして午後からはレブラント谷の駱駝岩とゼルヴェ渓谷のキノコ岩を見て回った。外気温度は42℃まで上がりうだるような暑さ。そんな中…
カッパドキアでは2連泊で、この日の午前中はギョレメ野外博物館の見学がオプショナルツアーにて催行された。オプショナルツアーに参加しなければ、日程表ではホテルを12時に出発となっていたので午前中はホテルの周りを散策するつもりでいたが、10時半…
トルコ絨毯の店を出てカッパドキアへと入って行く。ところがガイドのハンデさんがどこそこの渓谷ですというのだが、ちゃんとメモを取ろうとしても発音が難しく聞きとれていない部分もあって、帰国後に旅行記をまとめようとしても曖昧なポイントが多いのに気…
15日間の旅行はまだまだ中日も迎えていない。7日目のこの日は朝6時のモーニングコールで7時45分の出発。そろそろトルコリラが切れて来た人もいるのかチェックアウトの時に両替をする人もいて、レセプションには長い列もできていた。トルコで観光バス…
パムッカレからコンヤまでは約400kmのロングドライブ。最初のドライブインを出てから北東の方向へ長い坂道を上って行く。左右に大理石の石切り場が幾つか点在する。峠の手前の右側では道路際に石切り場があった。峠を上り切ったら今度は緩やかな下りが…
この日は6時15分モーニングコールで7時45分出発とやや早め。というのもパムッカレの石灰棚で足湯体験したあとは、今夜の宿泊地であるコンヤまで400kmのロングドライブとなるため。 朝食 お腹の調子がおかしくなってきて生野菜は控えることに。。。…
エフェス遺跡観光のあとは近くのレストランで昼食を摂り、その後200km弱移動してパムッカレのホテルへと向かった。途中一か所ドライブインに立ち寄ったところ、名物だという日本のゆべしに似たお菓子の試食と販売をしていた。ピスタチオ味やイチジク味…
この日の観光の目玉はエフェス(EFES=英語ではEPHESUS)遺跡。ギリシャ時代の小アジア最大の都市の遺跡。広さはイタリアのポンペイ遺跡に次いで2番目の広さとか。とにかく暑い中を広大な敷地を歩きまわるため、こまめな水分補給が重要である。…
この日は7時モーニングコールで8時半出発とややのんびりモード。クシャダスのアダクレホテルはエーゲ海に面していて、朝食も海に面したテラスで摂ることができる。 最初の日に生野菜やカットフルーツは避けるように言われていたのに、徐々に意識が薄れてい…
ベルガマは僕の中ではペルガモンといった方が馴染みがある。というのも僕はドイツのベルリンに出張も含め5回ほど行ったことがあり、1887年に東欧ツアー(今では中欧ツアーと呼ぶ)で東ドイツの東ベルリンに行った時と、統一後に出張でベルリンに行った…
4日目は6時半モーニングコールで、バッゲージ回収が7時。朝食は6時半から各自がそれぞれ好きな時間に行って食べ、ホテル出発は8時であった。 チャナッカレのコリンホテルでの朝食もビュッフェスタイル ホテルのプールとダーダネルス海峡 コリンホテルを…
話題のSNS(ソーシャルネットワークサービス)”facebook”のアカウントを2009年に取得したのだが、使い方も良く判らないまま3年近くほったらかしにして来ていた。今回エジプト・トルコを旅行した際に比較的若い人たちが多く参加していて、ス…
昼食の際に停めた駐車場でひと波乱。緑タグ班のバスの運転手がバックし過ぎて後部の窓ガラスが目茶苦茶に。まだイスタンブールから数百キロの地点だったので、代わりのバスを呼び寄せ乗り換えることになったようだ。 駐車場からレストランに向かうのに川を渡…
トルコで最初の朝。いよいよトルコ周遊の旅が始まった。モーニングコールは6時で、荷物を部屋の外に出すのが6時半。朝食も6時半からで出発は8時となっている。 朝食の後、出発まで時間があるのでホテル前の道を散策してみる。東西に走る道路で1ブロック…
朝食の後はナイル川を渡ってカイロ市内へと戻って市内観光。最初に訪れたのがモハメッドアリモスク。モカッタムの丘という所の駐車場からシタデル(城塞)越しに、イスタンブールのブルーモスクを模して造られたというミナレットとドームを眺める。バスを降…
エジプトへは、革命(クーデター)により1年半もの間渡航禁止措置がとられている。またエジプト航空の日本便も同様の期間運行が出来なかった。まだ完全に平穏になったわけでもないし外務省の渡航情報も「渡航の是非を検討してください」というレベルである…
この4日間は足裏にできたマメに悩まされ、碓氷峠からの下り坂で思っていた以上に体力を消耗した。横川を過ぎた辺りからは、早く松井田宿に着かないかということばかりを考えていた。足を引きずりながらも歩を進めなければそれもかなわない。 御所平という信…
古来から中山道は東山道と呼ばれて重要な街道であったが、江戸時代になると中山道という呼び名で五街道のひとつとなった。京と江戸を結ぶ東海道は途中大井川のように川止めという不特定要素があり、中山道の方が日数が掛かるものの珍重されていた。 明治期に…
碓氷峠を下って来て国道18号線に出ると碓氷小屋という休憩所がある。とりあえずここのベンチにザックを降ろして小休止。ペットボトルのお茶はとっくになくなっている。坂本宿に入れば自動販売機でもあるかと思い、一旦脱いだ靴を履き直してすぐに歩き始め…
碓氷峠から坂本宿までの下り9kmは、乾燥した滑りやすい急坂などの影響で考えていた以上に時間がかかった。特に柱状節理と呼ばれる火成岩が急速に冷却して固結する時に割れた石壁の造形は美しかったが、割れて砕けた石は道路に散らばって重なりあっていて…
今では石垣くらいしか形跡が残っていないが、かつて山中部落があったあたりには史跡を説明する立て看板が多く存在する。またどこかは判らないが林道を通って車が来れたらしく、ボロボロになったボンネットバスや1970年代のものと思われる乗用車が錆びて…
エジプト・トルコ旅行や岩手県にボランティア活動に行っていたので、久々のアップになります。 碓氷峠から坂本宿に向かって歩き始めた。ガイドブックによると旧街道は右方向の山道を行くようになっていたので下りてみたのだが、碓氷川の水源に出てしまい行き…
昨年から東日本大震災支援掛川市民の会の活動のお手伝いをしているが、3日夜から6日の朝まで被災地支援バスツアーに参加して岩手県陸前高田市に行って来た。 陸前高田市に行くのは3回目。昨年の9月と今年の4月に行った時には支援場所に向かう車中で被災…
自宅に戻り2日過ぎ、日本の蒸し暑さに汗をたらたら流しながら、連日の猛暑の中をバスで走り抜けた今回の旅の余韻に浸っている。 何でもトルコでは実に3520kmもバスで走り抜けたのだそうである。出張を除けば、僕の海外旅行の中で最も長い日程であった…