[20日目] 18:軽井沢~17:坂本~16:松井田 (2012.6.30)③

エジプト・トルコ旅行や岩手県にボランティア活動に行っていたので、久々のアップになります。

碓氷峠から坂本宿に向かって歩き始めた。ガイドブックによると旧街道は右方向の山道を行くようになっていたので下りてみたのだが、碓氷川の水源に出てしまい行き止まりになった。仕方がないので山道を引き返し元の道を少し行くと、仁王門跡という説明板がある所から中山道の標識のある道が右手に別れていた。
最初は道幅の狭い山道であったが、沢を渡って人馬施行所跡を過ぎた辺りから道幅が広がった。沢を渡る時に初めて登って来る人とすれ違った。

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右の道を降りるのが少し早過ぎた(11:00)

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細くて勾配のある道を下って行く

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水神の碑の建つ碓氷川の水源に出た

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相馬御風歌碑 「なりなりて おのれきよかる 高山の こほりにうつる 空の色かも」

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元の道まで戻って、今度は中山道の道標のある所を右へ(11:10)

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安政4年建立の思婦石 「ありし代に かへりみしてふ 碓氷山 今も恋しき 吾妻路のそら」

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仁王門跡

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中山道 この区間を長坂道と呼ぶ

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細い山道を下って行くと沢が道を横切っている

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沢の所で旧街道を登って来る人がいたので待って道を譲った

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人馬施行所跡の説明板                   旅人が身なりを直した化粧水跡

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人馬施行所跡を過ぎた辺りから道幅が広がった

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万葉集にある子持山の歌                   武田と上杉が戦った陣場が原

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碓氷峠から出て旧街道を右に下りてくる時に、別れた道とはここで合流する

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旅人を苦しる老婆がいたという一つ家跡               一つ家跡の古い説明板

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右手が一段高くなっていて廃屋があった

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山中坂の説明板

~ つづく ~