[20日目] 18:軽井沢~17:坂本~16:松井田 (2012.6.30)⑦

古来から中山道東山道と呼ばれて重要な街道であったが、江戸時代になると中山道という呼び名で五街道のひとつとなった。京と江戸を結ぶ東海道は途中大井川のように川止めという不特定要素があり、中山道の方が日数が掛かるものの珍重されていた。
明治期になると主要街道は国道として整備され、中山道も京都・草津間の国道1号線に始まり、→8→21→19→20→142→141→18→17→4号線と繋がって日本橋に到着する。それが車の交通量が増えて拡幅されたり高速化やバイパス化によってどんどん本来の街道からずれて行った。
一方で鉄道建設初期の頃は、主要な本線はそんな国道に並行して敷設されて行った。
信越本線碓氷峠は難所であり、横川駅と軽井沢駅の間はスイッチバックアプト式、多重連機関車と鉄道ファンならば垂涎ものの言葉のオンパレードとなっていたが、新幹線化された時にきっぱりと廃止路線となってしまった。横川から東の区間は今でも信越本線と呼ばれているが、軽井沢以西はしなの鉄道と名前すら変わってしまった。
横川あたりの旧中山道は現在では県道92号線となり、その横に信越本線が走り、さらに国道18号線が並走している区間となっている。
また信越本線の横川駅といえば「おぎのや」の釜飯が人気があったが、現在は鉄道客目当てでは商売が成り立つはずもなく、ドライブインや道の駅、高速道のサービスエリアだけにとどまらず、日本各地で開催される「駅弁まつり」に並ぶなど経営が多角化されている。

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碓井バイパスと合流したあと国道18号線は高崎方面へと向かう

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中山道信越本線のガードをくぐる(15:05)

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碓氷路交通殉職者鎮魂碑 横川から軽井沢の信越線の廃止に伴い作られた

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廃線になった部分をアプトの道として開放 アプト式のラックもカットされ雨水溝の蓋になった

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左手の上に碓氷関所跡がある

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碓氷関所の門の説明板                          碓氷御関所絵図

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関所の東門は元々はこの位置にあったが国道化された時に番所跡に移された

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初めて後ろから来た人に追い抜かれた       釜飯の「おぎのや」は元々は横川の駅弁屋

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松井田宿まで5.3km                      信越本線に沿って進む

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中山道は国道18号線となり、それに沿って信越本線が敷設された

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信越本線の第15中山道踏切を渡って国道18号線の下横川信号を横断する

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信越本線と国道18号線に沿って流れる碓氷川の奥には妙義山が見える

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百合若大臣の足痕石 その昔このあたりに百合若大臣という大男がいたという伝説が残っている

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しばらくの間国道18号線に沿って歩いて来た        コンビニでトイレ休憩(15:40)

~ つづく ~