2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧
6月のデーターは、発電量160kWh+電力会社からの購入量158kWh-電力会社への販売量95kWh=わが家での総使用電力量223kWhであった。 6月は夏至があって一年中で昼の長さが最も長い月のはずなのだが、逆に梅雨の影響から月別平均発電量は162.2kWhで11月の1…
小紅の渡し船には乗らなかったものの、渡し船乗り場から再スタート。鏡島弘法・乙津寺から加納宿へと向かう。途中本荘地区内で右に行こうか直進しようか迷ってしまうような交差点に出くわし、東に向かって直進する道を選んでしまった。1kmほどの所にある…
7時ちょっと過ぎにホテルを出て、コンビニに立ち寄り朝食におにぎりと昼の食事処が見つからなかった時の用心に菓子パン、さらにお茶ペットボトルを買う。その後大垣駅から一駅の穂積駅に移動し2日目(通算6日目)のりスタートとなった。 先ずは長良川の土…
旧中山道は糸貫川を渡ってから右に曲がって生津小学校付近を通り、500mほど行ったら今度は左に曲がり生津交差点に出る。しかしこの付近というか、瑞穂市区間は中山道を示す道路標識やステッカーといったものが少ない。そのため左折したもののこれが本当…
美江寺宿の中心美江神社の鳥居前で北に向かっていた旧街道は東に向きを変える。この日は6月初旬にもかかわらず真夏日となったが、午後4時近くになっても陽射しが強かった。神社の境内に高札場が復元されており、その前に置いてあるベンチで一休み。当初こ…
まだ6月初旬だというのにこの日は30℃を超え真夏日となった。前日まで雨だったのだが湿気はそれほどないので、それでも日陰に入ればホッとできる。ところが小簾紅園を出て揖斐川を渡りさらに巣南中学校前の中山道跡地公園までの間約30分、全く木陰もなく…
赤坂宿から美江寺宿までの間には濃尾三川の一つである揖斐川を越えなければならない。昼食の後は川に向かって田園地帯を行くのだが、「七曲がり半」だの「三廻り半」だの意図的に道を曲げてある区間となる。ここでは中山道の案内標識が無ければ旧街道を辿っ…
赤坂宿の本陣跡公園の街道に面したところに和宮の碑がある。皇女和宮が江戸に嫁ぐ時、文久元年(1861年)10月25日に赤坂宿に宿泊されたとある。 この公園の前の道路が少し広くなっていて駐車しやすいせいか、ちょうど僕がここを通った時に邪魔な車が…
照手姫ゆかりの地青墓町(あおはかちょう)から東海道本線のガードを潜ると昼飯町(ひるいちょう)に入る。東海道本線は大垣から垂井、関ヶ原と直線で走っているのだが、地図で見ると北側にもう一本垂井駅を通らないで大垣と関ヶ原を曲線で迂回するように通…
今日の夕刻、妻が庭で呼んでいるので外に出てみると、普段とは逆向きの虹が西側の空に浮かんでいた。 普段太陽が西ならば虹は東側に、太陽が東側ならば西側に虹がかかるものだが。。。 向きも円弧の内側が地面の方になるはずだが、僕の記憶の中ではこんな虹…
垂井宿の東見付跡で一休みし歩きだすとすぐに相川橋を渡る。当時はここには橋がかかっていなくて人足渡しであったと説明板にあった。ただし姫様や大規模な行列の場合には仮の橋を架けたとある。 橋を渡り右手に行くと大垣方面に行く美濃路と中山道との追分が…
以前にも紹介したように「東日本大震災・支援掛川市民の会」のホームページ作りを頼まれていたが、ようやく開設にこぎつけた。まだアクセスカウンターや掲示板などもなく、一方通行での情報提供にとどまっている。 興味ある方は、ここをクリック! ホームペ…
垂井宿に入り東方向に歩を進める。宿場の長さは800mほど。途中交差点右手に大鳥居がありその奥、南に1kmほどの所に徳川家光の寄進により再建されたという南宮神社がある。 さらに進むと左手に旅籠亀丸屋があり、その前で道路は東海道の宿場では曲尺手…
「平成23年度 市民税・県民税納税通知書」が届いた。会社を辞める時に理解していたことではあるが、届いてみてあらためてビックリの額である。 所得税は源泉徴収による前払なのに対して、地方税は前年の所得に応じて翌年度に徴収される後払いである。勤め…
今年の梅雨入りは例年よりも早く5月末であった。とはいえ梅雨には必ず中休みというものがあり、天気予報で6月8日(水)から3日間は晴天が続くということだったので、関ヶ原から御嵩宿まで歩くつもりで出掛けた。 朝一番の新幹線で名古屋まで行き東海道本…
不破の関から関ヶ原駅までの1.5kmほどの間に3か所ほど寄り道をした。 一つ目は不破関関庁跡、大海人皇子の兜掛石、沓脱石である。前にも書いたように関ヶ原は交通の要所である。故に672年の壬申の乱が起こった。その時に大海人皇子(おおあまのおう…
今須宿から関ヶ原宿間も、柏原宿~今須宿と同じくわずか一里。今須宿を抜けると旧街道は国道21号線と合流する。合流地点に公園がありその一角に一里塚跡が整備されている。 ここから旧街道を今須峠に抜けるには国道を渡らなければならないのだが、付近には…
柏原宿から今須宿はわずか一里。それも中心部から中心部のことで、柏原の宿場は13丁(1420m)もあったのだから宿場外れから宿場外れまでは2km少々となる。 ところがこの間に近江の国と美濃の国の国境の川と呼べないほど狭い溝がある。この川を隔て…
柏原宿歴史館前にある喫茶「柏」で英気を養い再び東に向けて歩きだす。 柏原宿は69宿場の中で江戸から60番目にあたり、宿泊(売上)高は4番目、宿場の長さ13丁(1420m)は10番目であった。歴史館のある辺りが中央で、本陣・脇本陣はそれよりも…
醒井宿で手に入れた街道地図には醒井から関ヶ原を経て赤坂宿までが載っている。その下段にはこの地図を発行するにあたってスポンサーとなった10幾つかの広告がある。柏原宿に入ってその中の一つである、喫茶「柏」に立ち寄った。何せ連日日照りの中コンビ…
梓河内は醒井宿と柏原宿の中間にあり、東山道の宿駅でもあった。 それにしてもこの4日間よく晴れて、炎天下の日照りの中を歩くのはきつい。まだ5月だというのに連日の30度越え。 こんな時はところどころある木陰で余分に休憩を取りたくもなる。途中3~…
醒井宿は清水が清流となって流れ、今はやりのマイナスイオンが立ち込めているようで気持ちが良い。車の通りも少なく宿場町として保存状態も良い。 宿場の東見附跡では道がカギ形に曲がり枡形になっている。やがて一里塚日跡を過ぎ、しばらく行くと国道21号…
トイレ休憩を兼ねコーヒーブレークでもと思って「醒井水の宿駅」という道の駅に寄ったものの喫茶室は10時に開店ということで、まだ準備と掃除の真っ最中。仕方が無いので旧街道に戻る。 醒井宿に沿って地蔵川という湧き出した清流が流れていて、透明度が良…
以前にも紹介したように「東日本大震災・支援掛川市民の会」では、隣の袋井市の写真屋さんが気仙沼市のある避難所から預かったアルバムの一部の洗浄作業を手伝っています。 今日は前回分で乾燥まで終わっていた写真をミニポケットアルバムに挿入し、本来のア…
番場宿を出て名神高速自動車道と北陸道の米原JCTの高架下で、通りかかった農婦に声を掛けられ迷子にならずに済んだ。教えられた道を行くと国道21号線の樋口という交差点に出、そこを渡り国道の左手の旧街道を入って行く。 ちなみに京都を出た時には旧東…
6月10日は時の記念日。 だからというわけではないが、先月中山道を歩き始めた時に腕時計の電池が切れて止まっているのに気付き、今回の中山道歩きの前に電池交換を行った。僕が今の1280円の腕時計を使い始めたのは10年くらい前。それから3回目の電…
東海道や中山道を歩いていて時々旧街道から外れている道を歩いていたり、道を迷ってしまったりしていることがある。 旧街道や宿場町を観光の目玉にしている商店街や観光協会はいろいろ工夫を凝らしていて判りやすいのだが、ただ通り過ぎるだけの自治体などに…
今日は中山道を関ヶ原宿から河渡(ごうど)宿まで約24km歩き、東海道本線の大垣駅まで戻り駅前のビジネスホテルに泊まった。 地方都市の夜の駅前で飲み屋以外の食事だけできる食堂を探すのは厳しい。ファミレスなどは駐車場を確保できる郊外の国道沿いに…
番場宿は今では国道が旧街道からずれてしまったため車の通りも少なくひっそりしている。中山道の宿場町としては最近建てられた石碑などはあるのだが実際に当時から残っているものはほとんどない。ただ1kmほどのわずかの間に神社仏閣の数は多い。 滋賀県米…
一日目逢坂の関から下って大津に入りから琵琶湖の南側を2日半ほど歩いてきたが、ほとんどが平坦な地でアップダウンが無かった。 鳥居本の宿場を出て番場宿に向かう時に初めて山道を通り峠を越える。ガイドブックには摺針峠は琵琶湖を最後に臨める場所とあっ…