[20日目] 18:軽井沢~17:坂本~16:松井田 (2012.6.30)⑧

この4日間は足裏にできたマメに悩まされ、碓氷峠からの下り坂で思っていた以上に体力を消耗した。横川を過ぎた辺りからは、早く松井田宿に着かないかということばかりを考えていた。足を引きずりながらも歩を進めなければそれもかなわない。

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御所平という信号で国道18号線を横切り、更に踏切を渡り信越本線の左側を歩く

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碓氷神社前の庚申塔と二十三夜の石碑                 赤い鳥居の碓氷神社

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ゆるやかな坂道を上がって行く             松井田宿まで残り3.8kmの道標

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逆光の中、妙義山をバックに夜泣き地蔵と茶釜石(16:10)

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今度は坂道を下って行く               左手に青面金剛塔(右)などの石仏群

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また信越本線の踏切を渡る、廃線のアプトが使用されている      左手に茶屋本陣がある

五料という所で、道から逸れた所に茶屋本陣というものがあるということを知り立ち寄るかどうか悩んだものの、今回の街道歩きではとにかく先を急ぐばかりでほとんど史跡や史料館に寄っていないこともあり、まあ建物くらいは見て行こうと立ち寄ることにした。

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安中領五料村高札場跡                 信越本線を渡り茶屋本陣に立ち寄る

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線路沿いに茶屋本陣・お西に向かう途中、信越本線の電車が通り過ぎた

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茶屋本陣・お西 中山道を参勤交代で行き来する大名などの休息所として使われた

茶屋本陣の入口まで行ったものの中に入らず先へ進むことに。ガイドマップによれば、この辺りは松井田城址までは旧街道が失われているということで信越本線沿いに歩いたのだが、マップに載っていた一里塚跡の説明板を見つけられないうちに松井田城址の説明板の前まで来てしまった。
JR松井田駅へは次の信号を右折して行けば近いのだがと思いながらも、一応けじめとして松井田宿の中心部まではいかなければと直進。宿場の中心部の「みなとや」という所が無料休憩所になっているのだが、定休日だったのか17時を過ぎてしまったからなのか既に閉まっていた。

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北条氏の配下であった安中氏の山城、松井田城址 左は曹洞宗補陀寺

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ようやく松井田の街に入って来た

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松井田商店街の中心部、安中市松井田商工会の建物を右手に見て進む

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左手には松井田郵便局がある ここから東の部分が松井田宿となる

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みなとや 無料休憩所なのだが定休日なのか時間が遅かったのか閉まっていた(17:20)

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松井田宿の商店街図 中央の直線が旧中山道 JR松井田駅へは川を渡って1kmほど

松井田商店街からJR松井田駅までは1kmほどあり、碓氷川の両岸が河岸段丘になっているため、川まで坂道を下り橋を渡って対岸の駅まで階段を登る必要がある。これが疲れ切った体にとって本当にきついものであった。次回はここからリスタートで、松井田宿に入り宿場らしいところが残っているかを探ってから安中宿方面に向かうことに。。。

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松井田駅から電車に乗り、高崎から新幹線で東京経由で掛川に戻った(17:35)

軽井沢宿から松井田宿までの距離20.0km。この日の歩行数45165歩。推定歩行距離33.9km。
通常家の周りでウォーキングする時には1歩0.75mの歩幅であることを実測しているのだが、山道だったり階段だったり、あるいは今回みたいに足の裏にマメができちゃったりしていると歩幅は狭くなってしまうため、推定歩行距離が大きくなってしまっている。それに加え今回下諏訪から松井田まで歩いた当時は、従来使用していた携帯電話の歩数計が一時的に故障停止していたため100円ショップで売っているような安価な万歩計を使っていて、後になって携帯電話の歩数計が復活してから比較したところ20%以上多くカウントされることも判った。従って、今回の17~20日目の推定距離はいずれも20%程度差し引いたものが実態だと考えられる。
第6回目・4日間の行程はここまでです。