2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

沢田研二 LIVE 2011~2012 in 浜松

今夜アクトシティ浜松の大ホールで沢田研二のライブがあり、久々にコンサートに出掛けた。 というのも1971年のザ・タイガースの解散以降交流を絶っていたドラム担当の瞳みのるが40年振りに帰って来たことが話題となったからである。 その辺の事情につ…

太陽光発電・今月の発電量(11-09)

9月のデーターは、発電量185kWh+電力会社からの購入量171kWh-電力会社への販売量124kWh=わが家での総使用電力量232kWhであった。 9月の発電量としては,2001年から2010年の10年間の平均173.1kWhに対して185kWhと7%ほど上回っていて、大きな…

岩手県遠野市大槌町

先日東日本大震災支援掛川市民の会のボランティアバスツアーで大槌町を訪れた時に撮影したマンホールの蓋です。撮影場所は大槌小学校前の道路。 大槌町は3月11日の大震災で甚大な被害を出した所です。大きなガレキはだいぶ減っていましたが、そうなれば逆…

岩手県遠野市宮守町(旧下閉伊郡宮守村)

先日東日本大震災支援掛川市民の会のボランティアバスツアーで1泊した岩手県遠野市宮守町の鹿込(ししごめ)集会所近くで撮影したマンホールの蓋2枚です。 2005年に平成の大合併で宮守村と遠野市が合併し新たな遠野市になりましたが、宮守村だった頃の…

岩手県陸前高田市

先日東日本大震災支援掛川市民の会のボランティアバスツアーで岩手県に行って活動をしてきた。 9月17日に行ったのが陸前高田市で、マンホールの写真を1枚しか撮ることが出来なかったがそれがこれ。真ん中から市章、市の花の椿、市の鳥のカモメ、市の木の…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)⑨

巴淵には龍神が住んでいて、それが源義仲の愛妾である巴御前と化したなどの伝説が残っている。そして義仲と巴御前の悲話は能の世界に謡曲「巴」にもなったという。折しも連日の雨で辺り一面はマイナスイオンがタップリ漂っていて何やら神秘的にさえ感じられ…

掛川市民の会のボランティアバスレポートをアップ

しばらく中山道のレポートのアップをサボって、東日本大震災支援掛川市民の会で9月16~19日に実施した第1回ボランティアバスツアーのレポート作りに没頭していました。 レポートの方は掛川市民の会のホームページに掲載していますのでご覧になってくだ…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)⑧

中山道中間地点の石碑から宮ノ越宿本陣までは二十九町、約3.2km。少しだけだが江戸に近付いた。 宮ノ越宿に入って行く、手前左側に古井戸がある 御膳水の額が掛けられ、右に明治天皇宮ノ越御膳水の石碑が建つ 井戸の由来書き 宮ノ越宿の民家(元旅籠)…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)⑦

長野県木曽郡木曽町日義(ひよし)。ここに中山道中間地点の石碑がある。京へ六十七里二十八町、江戸へ六十七里二十八町、共に約266km。中山道全長532mの中間点である。ここを通過した記念に、妻や何人かの友達に写メールを送った。 いつの間にか空…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)⑥

福島の関所は、東海道の箱根、新居そして中山道の碓井と共に天下の4大関所と称し、特に「女改め」と「鉄砲改め」に力を入れていた。関所を過ぎてしばらくは県道を行くがすぐに国道19号線の福島バイパスが合流する。 旧街道は時々国道から逸れて集落の中を…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)⑤

福島宿は上の段と言われる河岸段丘の上の部分にある。木曽川は山に挟まれ、山の斜面に降った雨が集まって来るからたびたび洪水を起こしていたと思われる。福島宿は高台に宿場を築くことでそういった被害を最小限にとどめていた。 福島関の関守と木曽の山林を…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)④

長野県木曽郡木曽町は木曽福島町と周辺の町村が合併してできた町。旧街道の坂道を上り詰めると木曽町役場脇に出てくる。そこからちょっと行くとJR中央線木曽福島駅に出る。 木曽福島町塩淵の名の由来 山の斜面に沿って上って行く 前方が開け木曽福島の街と…

岩手県陸前高田市および大槌町に行ってきました(9月16~19日)

東日本大震災支援掛川市民の会のボランティアバスツアーで岩手県の被災地に行って来た。僕自身が被災地に入るのは4月11日(月)から15日(金)まで宮城県岩沼市へボランティア活動で行って以来5ヵ月ぶり。震災から半年が過ぎて、街のがれきが若干整理…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)③

今朝の新聞に誤用している言葉の一つに「雨模様」というのが出ていた。ここ何回分かのブログで雨が降ったりやんだりしている状態を「雨模様の」と書いているのは完全に間違いであって、「雨模様」というのは雨になりそうだけれどまだ降り出していない状態が…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)②

木曽川の右岸の道は車の通りも少なく歩きやすくはあったのだが、なにぶんにも雨の方が激しくかつ歩道も山側に設置してあるため木曽川の眺めを楽しむことはできなかった。 2km余りの距離右岸を歩いた後、木曽の棧(かけはし)に向かって木立の中の細い道を…

[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)①

雨が旅館のトタン屋根をたたく音と裏の木曽川の流れの音とが一晩中入り混じって、熟睡できぬまま夜が明けた。前日と同じように、木曽福島駅7:36発の電車を逃すと次の電車が車で1時間半も待たなければならないため、通常7時の朝食を6:45に早めても…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)⑧

滑川橋の上から渓谷を眺めた後、橋のたもとで一休み。この日は前日の雨で取りやめた区間分を取り戻そうと頑張って歩いた。天候も午前中は時折激しく降りもしたが、午後は青空が広がり陽射しの強さも戻って来た。とはいえ雨前線のもとになっている北からの高…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)⑦

旧街道は2度3度と国道19号から離れてはまたくっ付くということを繰り返す。 荻原の集落ではおいしい湧き水を水舟に湛え飲み水や生活用水として使っている。 さらに進むと一里塚跡の碑があり、また国道19号線に出る。 滑川橋からの渓谷の眺めはなかなか…

越後・片貝まつりの花火(9月9・10日)

一昨日から帰郷していた。僕のふるさとは世界一の花火4尺玉を上げる新潟県小千谷市片貝町の隣町。亡き父も母も片貝の出身であるため、幼い頃から片貝の花火には強い思い入れがあったが、隣町ということでどうしても当事者でないために首都圏に就職してから…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)⑥

旧中山道と国道19号線、さらにJR中央線は木曽川の流れに沿って、お互いに右へ左へと入り乱れながら通っている。でも三留野、野尻、須原、倉本などの宿場や立場は必ず川のレベルよりは上の方に作られている。これは川がたびたび増水や洪水を引き起こすこ…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)⑤

須原宿には水舟と呼ばれる水道施設がある。清水は常に流れて丸太を刳り貫いた水舟に注がれている。通りかかった時はここにスイカが冷やされていた。脇には柄杓やコップが置かれ通りかかった旅人の喉を潤すこともできた。 長坂を下り須原宿に近付く、正面に見…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)④

高速道路においてはサービスエリアやパーキングエリアが建設当初から設置されていたが、一般国道においては民間のドライブインが所々にあってドライバーの休息場になっていた。20年くらい前からドライブインに比べてトイレや休憩のための設備を整えた道の…

越中おわら風の盆と富山観光 2日目(9月2日)

僕はこれまでに47都道府県の内、茨城・富山・愛媛・宮崎の4県を観光などの目的地として行ったことがない(さらに宿泊をしたことがないということになると青森県と佐賀県も加わってしまうのだが)。茨城は常磐線で通過しただけ、愛媛は観光バスで高速道で…

越中おわら風の盆と富山観光 1日目(9月1日)

数年前から妻が行ってみたいと言っていた富山県八尾のおわら風の盆という祭りに、遠州鉄道のバンビツアー・1泊2日で行って来た。 朝8:30に東名・磐田IC近くのバンビツアー駐車場からバスに乗り、浜松IC、浜松駅、浜松西ICの各集合場所を回り、東…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)③

三留野宿を出て2時間ちょっとで野尻宿に入って来た。前日ガイドブックを見ながら歩くことが出来ていれば、雨の中でも17時頃には到着していたのにと思うとちょっぴり悔しい思いが。。。 野尻宿の中心部で喫茶店を見つけて入りアイスコーヒーを頼んだ後で、…