岩手県陸前高田市へボランティア活動に行ってきました

昨年から東日本大震災支援掛川市民の会の活動のお手伝いをしているが、3日夜から6日の朝まで被災地支援バスツアーに参加して岩手県陸前高田市に行って来た。
陸前高田市に行くのは3回目。昨年の9月今年の4月に行った時には支援場所に向かう車中で被災状況を眺めただけだったが、今回は活動2日目午後に参加者全員で観光バスに乗り、陸前高田市観光物産協会の語り部・實吉(みよし)義正氏 のご案内で、市内被災個所の見学を行なった。
被災時の状況を聞きながら津波に破壊されて残っている施設の生々しい姿を見ていると、津波の破壊力のすごさを感じずには居られなかった。
特に最近になって取り壊しが決まった後で市民体育館の壁に残された「おかあさんへ」という書き込みの説明の時には思わず目頭が熱くなった。地元では体育館の取り壊し時にこの書き込みを残すかどうかの論議が活発になっているという。さらには広島の原爆ドームと長崎の平和像を見比べ、津波の破壊力の凄さを末代まで伝えるには祈念モニュメントよりも現物をそのまま残す方がインパクトが強いのではという意見も決して少なくはないということである。悲惨な状況を思い出すから早く取り壊して欲しいという意見が多いのもうなずけることである。
また市民体育館の隣にあって蔵書を全て流された市立図書館では、現在陸前高田市図書館ゆめプロジェクトを実施していて、新しい図書館の蔵書の購入資金として読み終わった古本の寄付を募っている。

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津波により破壊された陸前高田市民体育館とその前に集められた津波で破壊された車

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体育館の隣にあった市立図書館なども壊滅的被害を受けた

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市民体育館の玄関上部の建材が風でゆらゆらと揺れていた

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市民体育館の内部にはガレキが散在しているため立入禁止になっている

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市民体育館内部の壁に残された「おかあさんへ」という書き込み

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体育館前で逆さまになっている大岩は史料館前から津波によって転がって来たもの

市民体育館の次は、建物が全くなくなってしまった陸前高田駅前商店街と職員の犠牲者が多かった陸前高田市役所を見て回った。

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陸前高田駅前のロータリーだった所で被災前の駅前の写真を掲げる語り部の實吉(みよし)さん

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駅前の商店街だった所には、今は何も残っていない

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陸前高田市役所も職員の犠牲者が多かった、現在は遠く離れた仮庁舎で業務している

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玄関前に設けられた祭壇に向かい黙祷を捧げた

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市役所前に残る市民会館、避難指定場所だったので多くの市民が犠牲となった

最後に行ったのは気仙中学校前の空き地。この中学校は3階建て校舎が水没したにもかかわらず、校長先生の判断と教職員の避難誘導で一人の犠牲者も出さなかった。もし教育委員会からの指示を待っていたとしたら、市役所も壊滅していたため多くの犠牲者が出ていただろうと言われている。
その気仙中学校の目と鼻の先の千本松原だった所にたった一歩残った松の木がある。その松も根元から塩害にやられていて立ち枯れは避けられないという。その保存のために億という金を使って、松の中をくり抜いて樹脂を流し込み樹皮もコーティングして剥製化しての保存が決まったということが説明された。

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3階建て校舎は壊滅的被害を受けたが一人の犠牲者も出さなかった気仙中学校

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千本松原の写真を手に残った一本松の保存について話す語り部の實吉さん

今回のツアーは、TVの映像からは伝わらない津波の威力を実感できたとともに、これらを風化させてはならないということをまざまざと教えられ、意義深いものとなった。
機会があれば全てが取り壊される前に一度は見に行って欲しい。

参考までに陸前高田市主要部の地図で位置関係の確認を。