2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

太陽光発電・今月の発電量(11-08)

8月のデーターは、発電量209kWh+電力会社からの購入量176kWh-電力会社への販売量124kWh=わが家での総使用電力量261kWhであった。 今年の8月は19日まではカンカン照りの猛暑で発電量も多かったのだが、20日以降日本列島全体に前線が停滞し10日近く…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)②

旧東海道は現在ほぼ全部の区間が国道1号線となっているが、旧中山道は京都から順に国道1→8→21→19→20→142→141→18→17→4号線というふうに繋がって日本橋へと続いている。 国道19号線は名古屋から長野市まで走っていて、この内恵那市から…

[12日目] 41:三留野~40:野尻~39:須原~38:上松 (2011.8.22)①

今回はインターネットを通じて木曽福島駅から歩いて10分ほどの所にある、比較的安めの「鍵旅館」を2泊予約しておいた。妻籠宿から福島宿までビジネスホテルは無いし、割高の観光温泉旅館はあっても旧街道から若干離れていたりして、僕が普段利用している…

[番外] 木曽路のガイドマップ

妻籠宿の観光案内書で貰った、信州木曽路「中山道を歩く」というガイドブックは大変重宝なものである。木曽観光連盟が2009年に発行してもので、実際に歩いて編集してあり、旧街道への入口出口が江戸側からあるいは京側からわかりやすく説明してある。ま…

[11日目] 43:馬籠~42:妻籠~41:三留野 (2011.8.21)⑥

妻籠城跡から再び旧街道に戻り南木曽駅を目指す。雨の方は相変わらず降り続けている。 かぶと観音の境内を通り抜け、神戸(ごうど)の石畳を下ると左手にSLのある公園があり、ここで旧街道の三留野宿へ向かう道と南木曽駅に下って行く道とに分かれる。今回…

[11日目] 43:馬籠~42:妻籠~41:三留野 (2011.8.21)⑤

妻籠宿に入ったのはお昼少し前。早速蕎麦屋に入って昼食。「夏期揚げ天ざるそば」を注文。夏野菜の天ぷらかと思ったら、山菜のかき揚げであった。 この日の妻籠宿はあいにくの雨にもかかわらず、夏休み中の日曜日ということもあって観光客の数は多かった。で…

[11日目] 43:馬籠~42:妻籠~41:三留野 (2011.8.21)④

妻籠宿への坂を下る途中街道から50mほど入った所の男滝・女滝に立ち寄ることにした。今回は途中から脇道を戻る形になったが、最初から滝に立ち寄るつもりならば中山道の案内標識通りに来ずに、男滝・女滝の案内標識に従って迂回した方が結果的に歩く距離…

[11日目] 43:馬籠~42:妻籠~41:三留野 (2011.8.21)③

水車塚から梨子の木坂を上って行って4~5軒の集落を過ぎると、山道から車道に出る。そこが岐阜県と長野県の新しい県境である。県境を過ぎた所の右側に、気を付けていなければ見落としてしまいそうな正岡子規の書による馬籠峠の句碑が建っている。そこを過…

[11日目] 43:馬籠~42:妻籠~41:三留野 (2011.8.21)②

馬籠宿内のいくつかの史料館や島崎藤村の資料館はこの時間まだやっていない。雲が低く立ち込め今にも降り出しそうなので、早々に馬籠宿を後に馬籠峠を目指す。途中「熊出没注意」の看板が生々しく不気味である。 宿場の坂の上部、陣場に建っている中山道・陣…

[番外] 馬籠宿の案内図

どうでもよい話だが、去年昼神温泉に行く途中立ち寄った時と今回とを比べて、馬籠宿の入口にある案内板が変わっていたことに気付いた。前のものに比べて枡形がきちんとカギ状になっていたり、馬籠峠までのウォーキングコースと車道の黄砂が描かれていたりと…

[11日目] 43:馬籠~42:妻籠~41:三留野 (2011.8.21)①

今回は前日の内に中津川に来て前泊し、早朝からバスで前回の最終地の馬籠宿に移動し歩き始めた。 中津川には僕が前に勤めていた会社の系列工場があり、10年ほど前に一時期そこから出向で来ていた同僚が住んでいるので、今回連絡を取り久し振りで昔話でもし…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑫

新茶屋から馬籠宿までは2km弱、30分ほどである。石畳の坂道は両側を杉並木などでふさがれていたが、ここは広々と見晴らしが良い。しかしその分太陽がじりじりと照りつけてくる。 新茶屋を過ぎると視界が広がる しかしその分陽射しが強い 正岡子規の句碑…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑪

落合宿から、馬籠宿の少し手前にある新茶屋にかけての落合の石畳は中山道らしさを最も感じる所のひとつである。映画やTVの撮影でも使われるということで、TBSのドラマ浅見光彦シリーズでのこの街道の場面は僕も見た。原作からはものすごく脚色されてい…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑩

与坂立場を過ぎ正面に開けた景色を見ながら坂を下って来ると旧街道は再び国道19号線の中津川バイパスにぶつかる。しかし道標を見落としたのかバイパスを渡ることが出来ない。しかたなく並行する側道を右手に150mほど行った所の信号を渡った。道を渡っ…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑨

中津川宿から落合宿、馬籠宿へと幾度となく上り下りをくり返しながら高度が上がって行く。当然高度が上がって行くのだから上り坂の距離の方が下りよりも長い。そうでなくても上り坂の方がきついのだから、午後からの陽射しの強さも相まってこの区間は難儀で…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑧

中津川橋を渡って中津川宿の中心部に入ったのが11時を少し回ったばかり。前日は赤紫蘇と梅干のおにぎりだけの昼食だったので、この日は少しは気の利いた食事処でおいしいものを食べたかったので、中津川駅近くで食事をしようと思っていたわりに早く着き過…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑦

こでの木坂のS字カーブを下るとその後は直線道路となって、復元された高札場跡に出る。さらに道幅の狭い旧街道案内板に従って進んで行くと中津川にかかる中津川橋に出る。この橋は車道部分と歩道部分が完全に分かれていて、歩行者は左側の橋を渡る。下を見…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑥

坂本地区は茄子川、三ツ家、中平、千旦林、上宿、駒場などの集落全体の総称で、古代から坂本駅という名で近江と陸奥を結ぶ東山道の中でも阿智駅と共に難所とされていた。 中山道と新国道(現県道)の分岐道標 坂本地区千旦林村の旧街道を行く 秋葉燈籠 千旦…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)⑤

坂本地区の茄子川村地内はまだ9時前というのに強い陽射しが照りつける中をただ黙々と歩く。 この日は7時半前にホテルを出たにもかかわらず、なかなか腰をおろして休める場所もないままひたすら歩いて来た。 茄子川村役人の篠原家脇にある石燈篭は中山道か…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)④

甚平坂の展望台にある皇女和宮降嫁150年の説明板によると、文久1(1861)年10月20日に京都御所を発った2800人の大行列は23宿に泊まり、25日目に江戸へ入ったとある(どこかで2泊した?)。10月28日は大湫宿に泊まり、翌日にこの地…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)③

明知鉄道のガードをくぐると上り坂の左手に上宿の石仏群がある。昔は村境に地蔵などを建て悪病や悪人が侵入してくるのを防いだという。 明知鉄道のガードをくぐる その手前右側に南無阿弥陀佛の碑がある 明知鉄道の車両が恵那駅方向に向かって通過 上宿石仏…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)②

大井宿には6箇所の枡形がある。そのおかげかどうかわからないが、明治以降、特に最近の車社会において曲がりくねった狭い坂道は敬遠され、少しずれた所にほぼ直線に近い形で国道が建設された。従って旧街道と宿場は昔のままの姿で残ることが出来た。 庄屋邸…

[10日目] 46:大井~45:中津川~44:落合~43:馬籠 (2011.7.16)①

一夜明け、今回の3日目。この日の行程は大井宿(恵那市)から中津川宿、落合宿を抜け馬籠宿までの20km弱。 馬籠宿の少し手前で、美濃路から国境を通過し木曽路へと入って行く。まず最初は大井宿。枡形をはじめ宿場らしい街並みが残っている。 大井宿の…

[9日目] 48:細久手~47:大湫~46:大井 (2011.7.15)⑩

JR中央線の踏切を渡って前日に御嵩宿を出た直後以降1日半ぶりに車の通行量の多い道を歩く。三時を過ぎ道路の左手に喫茶店を見掛け立ち寄ってみることに。コーヒーとケーキを頼み携帯電話で撮った写真を、山道を無事通り抜けたことを知らせるとともに妻に…

ふくろい・遠州の花火

(日が変わってしまったので)昨日8月6日隣町の「ふくろい・遠州の花火」(がんばろう東北 『届けよう 希望のメッセージ』)に出掛けた。 僕の両親は共に世界一大きな4尺玉を上げている新潟県小千谷市片貝町の出身なので僕は子供の頃から花火好きなのだが…

[9日目] 48:細久手~47:大湫~46:大井 (2011.7.15)⑨

槙ヶ根の立場周辺には茶屋跡の道標が多く見かけられ、往時の賑わい振りが偲ばれる。さらにこの辺りには西行塚や西行苑など西行法師ゆかりの遺跡が多く西行の森公園が作られている。ちょうどその駐車場のあたりに槙ヶ根一里塚跡があり、東屋のひさしの中に入…

[9日目] 48:細久手~47:大湫~46:大井 (2011.7.15)⑧

思いがけず自動販売機で冷たい水を補給でき自然と足取りも軽くなった所でみだれ坂に差し掛かる。みだれ坂の説明板に旅人の息も女人の裾も乱れるほどの急坂であったと由来が書いてあった。 石州さまの道標を左手に見て進む みだれ坂とみだれ橋の説明 旅人の息…

[番外] 白日夢

みだれ坂の急な坂を上り皇女和宮様のご下向時の休憩用に漆塗りの御殿を建てたことから姫御殿と呼ばれた祝峠を過ぎると下り坂になる。十三峠といわれる大湫宿から大井宿にかけての長く険しい山道も、最後の西行坂の下りを残すだけとなった。 中山道から分かれ…

[9日目] 48:細久手~47:大湫~46:大井 (2011.7.15)⑦

昼食を取り大井宿に向かって歩きだす。まだ2里以上の山道があり、炎天下の中ペットボトルの中の水の量がかなり気がかりである。 おにぎりを食べ終わり再スタート 深萱立場の説明板 藤村高札場の前を通る 庚申の石碑 復元された藤村高札場 藤村高札場の説明 …

[9日目] 48:細久手~47:大湫~46:大井 (2011.7.15)⑥

大湫宿から大井宿にかけての十三峠は長く険しい山道であるため、荷役人足や馬の引き継ぎ地である炭焼立場や深萱立場などの立場かあった。深萱立場大湫宿から5km、大井宿からは8.7kmの位置関係にあり、JR中央線武並駅には2kmと御嵩あるいは細久…