2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

太陽光発電・今月の発電量(12-2)

2月のデーターは、発電量174kWh+電力会社からの購入量275kWh-電力会社への販売量116kWh=わが家での総使用電力量333kWhであった。 2月の発電量174kWhは、過去10年間の平均186.7kWhより6.2%も少ない。 過去の月別発電量比較

愛知県犬山市

中山道を歩いて通算6日目鵜沼宿に着いた。インターネット上で鵜沼近辺で適当な宿を見つけられなかったので、新鵜沼から名鉄で2駅の犬山で泊った。鵜沼宿のある各務ヶ原市は岐阜県、犬山市は愛知県になる。 犬山といえばお城が有名でマンホールの蓋にも使わ…

21才の別れ

1974年秋から始まったYちゃんとの付き合いは翌年6月突然終わった。 付き合い始めて最初の二人っきりのデート、上野動物園へパンダを見に行った。1972年に中国との国交正常化に伴って上野動物園にやって来たジャイアントパンダの人気は、2年たった…

[中山道番外]岐阜県各務ヶ原市

中山道は岐阜市中心部の加納宿を出て東に進んで行くと各務ヶ原市に入り、さらに東進すると鵜沼宿に出る。 各務ヶ原市の市の花・ツツジをデザインしたもの 大型の蓋は見つからなかった 中央に各務ヶ原市の「各」の字をデザインした市章が入った汚水マンホール…

2番目の恋の始まり

Yちゃんは1973年4月に入社してきた。 僕が初めてYちゃんを知ったのは、例のこのときめきを君に伝えたい!のページの本栖湖キャンプ。例の集合写真の中にYちゃんの姿もある。そのキャンプで彼女は確か井上陽水の「夢の中へ」を披露したのだと思う。 …

[中山道番外]岐阜県岐阜市

岐阜市内には、中山道の河渡(ごうど)宿と加納宿がある。河渡宿は長良川の西側にあり、長良川を渡し船で渡ると鏡島地区に入り、さらに東へ進むと加納宿に出る。金華山の上に建つ岐阜城は織田信長ゆかりの城であり、加納宿の南には加納城がある。 岐阜市の市…

親友K君との登山

僕は今までに本格的な登山の経験はほんの数回しかない。その中でも印象に残っているのは、1974年8月の南アルプスの北岳(3192m)・間ノ岳(3189m)・農鳥岳(3025m)からなる白峰三山(しらねさんざん)の縦走である。間ノ岳と農鳥岳の…

今年も杉花粉の飛散が始まりました

今年は寒く厳しい冬だった反面、杉花粉の飛散が遅れていて良い状態が続いていましたが、木曜日に雨が降った後に強風が吹き、金・土・日と穏やかで温度も上がってきまして、杉花粉が飛び始めました。これからヒノキも含め5月連休まで憂鬱な季節が続きます。 …

[中山道番外]岐阜県瑞穂市(旧本巣郡巣南町、穂積町)

中山道は(美濃)赤坂宿を出て揖斐川を渡ると大垣市から瑞穂市へと入る。2003年美江寺宿のある巣南町と隣の穂積町が合併し瑞穂市になった。穂積町のマンホールの蓋は、中山道小間切れ六十九次の通算6日目の最後に、河渡宿(岐阜市)からその日の宿泊地…

北海道旅行と初めての飛行機

1974年の5月連休。労働組合青年婦人部主催の北海道道南旅行ツアーがあった。参加者は19名(男10、女9)であった。 まず1日目は初めて乗る夜行寝台列車で青森まで行き、2日目朝青函連絡船で函館の地を踏んだ。函館ではまだ桜のつぼみの硬い五稜郭…

[中山道番外]岐阜県大垣市

中山道は垂井宿を出て相川を渡り、美濃路との分岐点である垂井追分を左方向に進む。少しすると大垣市に入り青野、青墓、昼飯という地区を通り過ぎ赤坂宿に至る。 残念ながら中山道上には最近の下水道のデザインマンホールの蓋は見当たらず、真ん中に市章の入…

1973年~1974年

僕が入社した大手電機メーカーでは入社時の学歴によって、中卒入社は3年の訓練期間を経て一般職、高卒入社は1年の研修期間を経て一般職に登用され、大卒者は1年の研修期間を経て主務職で登用される制度であった。主務職は自分の力量に応じ仕事が任される…

[中山道番外]岐阜県不破郡垂井町

中山道は関ヶ原を過ぎると垂井宿に入って行く。 マンホールの蓋には、町の木・ケヤキと町の花・ツバキ、鯉のぼり、さらには町の中心部を流れる相川がデザインされている。 下水道マンホールの蓋 汚水桝の蓋

沖縄への船の旅

1972年5月15日に、終戦後ずっとアメリカに統治されていた沖縄が返還された。 その翌年の5月連休に僕は沖縄に行った。僕が勤めていた大手電機メーカーの労働組合の青年婦人部が、神戸から船を貸し切って全国各支部から募った700人のツアーを組んだ…

[中山道番外]岐阜県不破郡関ヶ原町

関ヶ原町といえば、西暦1600年徳川家康の東軍と石田光成率いる西軍が天下を掛けて合戦をした所。古くから交通の要所であり不破の関が設けられていた。 中央にマンホールの蓋の中央には「セ」の文字を兜風にデザインした町章を配し、その周りに鎧兜や町の…

別れの日

正月が明け1ヶ月近く連絡がなかった。彼女は僕の思いを真面目に受け止めてくれ義姉さんにも相談したと言っていた。次に会った時に真剣に付き合っていくことを了承してくれた。 その後のデートで初めてお昼のお弁当を作って来てくれ、早朝の電車(当時は急行…

逢えば切なくて、逢わなければ悲しくて

人に聞かれた、「お前20代の頃に日記つけていたの?」って。僕はまったく日記を付けたことはなかった、でもたいていのことは心のどこか片隅に記憶できていた。まだ若かった頃は! 今はアルバムや写真を引っ張り出して見たことで触発され、その当時のことが…

東北一人旅

僕は家が貧乏だったにもかかわらず子供の頃からあちらこちらを放浪する旅に憧れていて、高校時代は鉄道の時刻表を手に入れて汽車の乗り継ぎなどを計算しながら仮想旅行をするのが好きだった。 ちなみに45歳で交通事故で死んだ父は、子供の頃に小児まひにな…

であい

研修生時代は色々な行事があったり、職場実習があった。 行事は半分研修担当教官によるしごきの場(?)でもあった。入社直後の自衛隊御殿場基地内の施設での合宿と太郎坊への登山。夏山登山。研修明け前のマラソン大会とそれに向けての朝礼後のロードランニ…

[中山道番外]滋賀県米原市(旧坂田郡山東町)

中山道の醒ケ井宿を過ぎ柏原宿に近付いた辺りは、2005年に米原町及び伊吹町と合併して米原市になるまでは坂田郡山東町といった。。 旧山東町のマンホールの蓋は、「鴨とホタルの里・山東町」にちなんだデザインとなっている。 中央部には三島池のマガモ…

入社

最初は白内障の手術前に久し振りで開いたアルバムをきっかけに思い出の場面を回想し始めたのだが、一つの場面を思い出すとそれに触発されて次々と当時のことが蘇って来て、さらにそれがいくつも関連し合うことが多く、今までのように思いつくままに文字にし…

[中山道番外]滋賀県米原市

中山道の鳥居本(とりいもと)宿を出て右に曲がり摺針峠を経て番場宿へと向かう途中、名神高速自動車道の側道に出た所で彦根市から米原市に入る。 米原市には番場宿、醒ケ井宿、柏原宿と三つも中山道の宿場がある。 米原市のマンホールの蓋については東海道…

僕はジュリー???

整理してない写真の束を一枚一枚見ていたら、僕はいつもいろんな場面でジュリーの歌を熱唱していた。 スナックで8トラックのカラオケで、旅館の宴会場で浴衣姿で、キャンプファイヤーの火の前でおたまを持って、スキー場のホテルのレストランで椅子の上に立…

[中山道番外]滋賀県彦根市

中山道の高宮宿と鳥居本宿の二つが彦根市にある。 彦根市の市章は市の中心部にある金亀山から亀甲模様が市章であり、その市章と市の木・たちばなを図案化している。 下水道マンホールの蓋 市章を中心にして亀甲模様 その外側に市の木・たちばながある 中型の…

このときめきを君に伝えたい!

フジカラーのCMソングで吉田拓郎が歌った「昔はものすごもてたんじゃけに!」のCMがヒットした翌年に、今度は吉田拓郎の作詞作曲でジュリーがこんな曲も歌っていた___ 今このときめきは 君の胸を貫いてしまいそうだ 気まぐれな 人生だけど 突然 嵐の…

ブログのニックネームとアバターがおかしくなってしまった

昨日からこのブログの左側のアバターの部分にあるYAHOOのニックネームがおかしくなっていて、本来OS1950となるところがOS1*50になっている。設定をいろいろ見ているのだが原因が分からず元に戻らない。 誰かわかる人がいたら教えてください…

パンドラの箱を開けてしまった?

白内障の手術の前に昔のアルバムやら写真を引っ張り出したことで、このところ布団に入ると昔の思い出やら、後悔、反省、妄想やらで目が冴えてしまって熟睡ができない。 若い頃に無理無理封印してしまったことや、歳月とともに風化してしまったことなどが、走…

昔はものすご もてたんじゃけに!

白内障の手術の前に万が一目が見えなくなったらと不安で、これまでの人生の思い出の場面を心に焼き付けておこうと、昔のアルバムやら写真を引っ張り出して眺めていた。(第3弾) 青春時代の写真を見ると、付き合ったことのある人以外ともたくさんのツーショ…

[中山道番外]滋賀県犬上郡豊郷町

中山道は愛知川(えちがわ)宿から宇曽川に架かる歌詰橋を渡ると豊郷町に入る。豊郷町には伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛の屋敷がある。 また江州音頭の発祥地ということで、提灯と町の花・つつじ、踊る人を図案化している。 外から提灯と町の花・つつじ、踊る人…

体重の変遷

白内障の手術の前に万が一目が見えなくなったらと不安で、これまでの人生の思い出の場面を心に焼き付けておこうと、昔のアルバムやら写真を引っ張り出して眺めていた。(第2弾) 僕が18歳で会社に入社した時の体重はなんと48kg。新潟の田舎村の貧しい…