[4日目] 63:鳥居本~62:番場~61:醒井~60:柏原~59:今須~58:関ヶ原 (2011.5.21)⑪

今須宿から関ヶ原宿間も、柏原宿~今須宿と同じくわずか一里。今須宿を抜けると旧街道は国道21号線と合流する。合流地点に公園がありその一角に一里塚跡が整備されている。
ここから旧街道を今須峠に抜けるには国道を渡らなければならないのだが、付近には信号も横断歩道もなく今須方面からは緩やかな上り坂のため旧道への入口が見えにくい。ちょうどタイミング良く関ヶ原方面から10名ほどの集団がやってきて国道を渡るのを見て入口を確認。ちょうどJRの東海道線がトンネルに入った真上を通過する。旧街道を歩くとほとんど登りもなく今須峠の説明板があり、後は下り坂となる。下って行くと左に新幹線右に東海道線が通っているところに出て、その先で右側の東海道線の踏切を渡る。
最初の集落の中に入ると道が二股に分かれているが、左の道を辿ると源義朝の愛妾であった常盤御前の墓がある。今若、乙若、牛若の母、即ち源義経の母の墓である。墓の脇には芭蕉をはじめとし多くの句碑や歌碑が残されている。

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今須宿を抜け国道21号線に出た所に一里塚跡がある   一里塚から今須宿方面を振り返る

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国道21号線を渡り旧街道は左手に逸れ今須峠を通る            今須峠の説明

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牛若丸の母、常盤御前の墓

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常盤御前の墓の説明     芭蕉の句碑などの説明「義ともの 心に似たり 秋の風」

やがて旧街道は国道21号線にぶつかり、歩道橋を渡ってすぐに不破の関に続く道が右手に分かれている。関ヶ原は南は鈴鹿山系、西は伊吹山、北は飛騨山脈に囲まれていて、今日から東に下って行く時の交通の要所である。関ヶ原不破の関は伊勢鈴鹿の関、越前愛発の関と並び日本の三関であった。
関ヶ原といえば、最も有名なのは1600年の天下分け目の関ヶ原の合戦であるが、それ以前にも672年の壬申の乱でも戦いの舞台となっている。特に藤古川に架かる橋は戦いを左右してきた要衝である。藤古川からの坂を登り切った所に不破の関跡があり、そこの東屋で一休み。

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旧街道は国道21号線にぶつかるので歩道橋を渡る     不破の関に向かい右に逸れて行く

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大谷吉隆の墓が右手7丁(800m)ほどの所にあるが素通りする

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関の藤川(藤古川)の説明 古来から要衝の地であった

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藤古川の橋の上、奥に見える橋は国道21号線        不破関西城門と藤古川の説明

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不破の関資料館脇の東屋で一休み

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大関の一つ不破関跡の説明

~ つづく ~