[4日目] 63:鳥居本~62:番場~61:醒井~60:柏原~59:今須~58:関ヶ原 (2011.5.21)⑫

不破の関から関ヶ原駅までの1.5kmほどの間に3か所ほど寄り道をした。
一つ目は不破関関庁跡、大海人皇子の兜掛石、沓脱石である。前にも書いたように関ヶ原は交通の要所である。故に672年の壬申の乱が起こった。その時に大海人皇子(おおあまのおうじ)が兜を脱いで掛けた石と沓を脱いだ石だという史跡が茶畑の中にある。
ちょうど茶農家り人が摘み取りをしている中を通りかかった。この時の話題は神奈川県の茶葉から放射物質が検出されたとのことで、僕が掛川から来て静岡の茶は問題が無いとか美濃茶も大丈夫でしょうとかいうことだった。

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左・大海人皇子の兜掛石、沓脱石の道標を見て横道に入る お茶農家の人が茶摘みをしていた

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不破関関庁跡と兜掛石                植え込みの中に埋もれている沓脱石

次に立つ寄ったのが1600年の関ヶ原の戦いで、秀吉の子飼いの武将でありながら東軍の先鋒となった福島正則の陣跡。今では春日神社となっている。周囲には東西の武将の陣跡もあるのだが、全てを回るにはそれだけで一日以上費やさなければならないので、今回はここだけにした。

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今度は、右・福島正則陣跡の道標を見て右手の脇道に入った さらに左手40mの所に。。。

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福島正則の陣跡は春日神社となっていた

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東軍の先鋒・福島正則はここで宇喜多軍と対峙した 関ヶ原町天然記念物・月見宮大杉の説明

最後に寄ったのが西首塚関ヶ原の戦いでの死者数千人の首を葬ったとある。ただ石碑には胴塚とあるのでどうなのか???関ヶ原宿の中には東首塚もある。

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中山道に戻り関ヶ原役を目指すと途中に西首塚がある

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関ヶ原の戦いの死者数千人の首を葬ったとある 紫ノ内関ヶ原合戦戦死者胴塚と彫られた石碑

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国道21号線関ヶ原駅前交差点を左に曲がる        JR東海道本線関ヶ原駅(14:50)

JR関ヶ原駅から出て大垣で乗り換えたのが快速の豊橋行きで、途中名古屋で新幹線に乗り換えようと思っていたのを変更し、在来線の普通電車で豊橋、浜松にてそれぞれ乗り換え3時間程度で掛川に戻って来た。

鳥居本宿から関ヶ原宿までの距離22.6km。この日の歩行数33665歩。推定歩行距離21.9km。(万歩計の歩幅設定などで若干の誤差があります)
第1回目・4日間の行程はここまでです。