[5日目] 58:関ヶ原~57:垂井~56:赤坂~55:美江寺~54:河渡 (2011.6.8)④
照手姫ゆかりの地青墓町(あおはかちょう)から東海道本線のガードを潜ると昼飯町(ひるいちょう)に入る。東海道本線は大垣から垂井、関ヶ原と直線で走っているのだが、地図で見ると北側にもう一本垂井駅を通らないで大垣と関ヶ原を曲線で迂回するように通っている線がある。用途は貨物線か急行や特急専用なのだと思うが詳しくはわからない。
昼飯の地名は、大阪の海から拾い上げられた善光寺如来という仏像を長野善光寺の運ぶ時にこの地で昼食の時間になったことに由来するとのこと。「ひるめし」という言い方が下品なので「ひるいい」になり、つまって「ひるい」になったそうである。そういえばそろそろお昼になるが、赤坂宿に着いてガイドブックにある宿場の駅「五七処」まで行けば何かしらの食事にありつけるだろうと先を急ぐ。
昼飯の地名は、大阪の海から拾い上げられた善光寺如来という仏像を長野善光寺の運ぶ時にこの地で昼食の時間になったことに由来するとのこと。「ひるめし」という言い方が下品なので「ひるいい」になり、つまって「ひるい」になったそうである。そういえばそろそろお昼になるが、赤坂宿に着いてガイドブックにある宿場の駅「五七処」まで行けば何かしらの食事にありつけるだろうと先を急ぐ。
昼飯町(ひるいちょう)の由来
赤坂宿に関する記述を拡大
大垣出身の幕末の勤皇の志士・所郁太郎生誕の地 赤坂宿の中心部に入って行く
宿場の駅「五七処」の壁面に描かれた家康の似顔絵と開運の地・赤坂の説明(12:00)
赤坂宿に入り中心部と思われる宿場の駅「五七処」に着いたのだがガックリ。本日は所用により午後2時開館となっていた。
~ つづく ~