[5日目] 58:関ヶ原~57:垂井~56:赤坂~55:美江寺~54:河渡 (2011.6.8)⑤
赤坂宿の本陣跡公園の街道に面したところに和宮の碑がある。皇女和宮が江戸に嫁ぐ時、文久元年(1861年)10月25日に赤坂宿に宿泊されたとある。
この公園の前の道路が少し広くなっていて駐車しやすいせいか、ちょうど僕がここを通った時に邪魔な車があり写真に収めにくい状況になっていた。観光地の案内板や説明立て札の前に車を止めてほしくないものだ。
この公園の前の道路が少し広くなっていて駐車しやすいせいか、ちょうど僕がここを通った時に邪魔な車があり写真に収めにくい状況になっていた。観光地の案内板や説明立て札の前に車を止めてほしくないものだ。
赤坂宿本陣跡公園
本陣跡公園を過ぎ西濃鉄道の踏切を渡ると右手に火の見やぐらが見えてくる。その反対側が赤坂港跡公園である。杭瀬川からの運河が引かれ宿場へ物資を運び込んでいたらしい。
先ほどの宿場の駅がこの日は午後からの開館だったために食事にありつけず、その後も宿場内には食事処が見つからなかったのでここの東屋で一休みしながら、このような事態を想定して買っていた菓子パンをほおばる。東屋には先客がいて美濃地方のウォーキングを楽しんでいるとのことで今日の日程を終了し、バス待ちとのことであった。
前回醒井宿で貰った中山道の無料のガイドペーパーに出ているスポンサーの広告の一つとして赤坂宿の東側に麺茶房・えだの郷「早来(さらい)」というのが載っていた。結局この日の昼食は、そこまで20分ほど歩いて冷やし天ぷらうどんにありついた。
先ほどの宿場の駅がこの日は午後からの開館だったために食事にありつけず、その後も宿場内には食事処が見つからなかったのでここの東屋で一休みしながら、このような事態を想定して買っていた菓子パンをほおばる。東屋には先客がいて美濃地方のウォーキングを楽しんでいるとのことで今日の日程を終了し、バス待ちとのことであった。
前回醒井宿で貰った中山道の無料のガイドペーパーに出ているスポンサーの広告の一つとして赤坂宿の東側に麺茶房・えだの郷「早来(さらい)」というのが載っていた。結局この日の昼食は、そこまで20分ほど歩いて冷やし天ぷらうどんにありついた。
赤坂港バス停、左手は赤坂港会館(12:15) 火の見やぐら
赤坂港跡公園の常夜燈(12:30)
赤坂宿御使者場跡の石碑と旧街道 赤坂大橋西詰交差点
赤坂大橋の上から赤坂宿を振り返る
橋を渡るとすぐに大垣路との分岐がある 左なかせんどう 右おおがきみち
麺茶房・えだの郷「早来(さらい)」で昼食を 冷やし天ぷらうどん(12:55)
~ つづく ~