[5日目] 58:関ヶ原~57:垂井~56:赤坂~55:美江寺~54:河渡 (2011.6.8)③

垂井宿の東見付跡で一休みし歩きだすとすぐに相川橋を渡る。当時はここには橋がかかっていなくて人足渡しであったと説明板にあった。ただし姫様や大規模な行列の場合には仮の橋を架けたとある。
橋を渡り右手に行くと大垣方面に行く美濃路中山道との追分がある。赤坂宿へは当然左手の中山道へと進む。1.5kmほど行くと街道の右側が大垣市に入り、左側がまだ垂井町の所に垂井の一里塚跡がある。

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垂井宿を出てすぐに相川橋を渡る

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元々ここは大井川のように人足による渡しであった

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相川橋を渡り右手に行くとすぐに左・中山道と右直進・美濃路の追分(分岐)になる(10:35)

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垂井追分道標の説明板 道標には「右東海道大垣みち、左木曽海道たにぐみみち」と彫ってある

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喜久一丸稲荷神社の朱色の鳥居

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平尾御坊道の石碑                         背丈の違う地蔵2体

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不破郡垂井町から大垣市に入る      街道左脇の垂井一里塚はまだ垂井町の中にある

一里塚からさらに1,5kmほどすると車の通行量の多い県道にぶつかり、その道を渡ってさらに真っ直ぐ進むと青墓地区に入って行く。道標の一つに青墓宿とあったので垂井と赤坂の間の宿だったのかもしれない。

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薬師如来御寶前と彫られた常夜燈            正面には国分寺道と彫られている

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旧街道は車の通行量の多い県道216号とぶつかる 赤坂宿へは左手にそれて青墓地区を通る

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中山道の看板、赤線のように県道216号線を渡ってほぼ直線に進んだことに

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中山道の看板の裏面は、中山道の散策マップになっていた

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中山道青墓宿の道標が。。。(11:20)      よし竹・円願寺の道標と青墓のよしたけあん

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小篠竹の塚の説明                    牛若丸ゆかりのよし竹の説明板

~ つづく ~