[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)②
木曽川の右岸の道は車の通りも少なく歩きやすくはあったのだが、なにぶんにも雨の方が激しくかつ歩道も山側に設置してあるため木曽川の眺めを楽しむことはできなかった。
2km余りの距離右岸を歩いた後、木曽の棧(かけはし)に向かって木立の中の細い道を降りて行くと、芭蕉の句碑など幾つかの石碑が並んだ地点に出る。そこから赤い鉄橋を渡って国道19号線に戻る。
木曽の棧とは川を渡る橋ではなく、木曽川に落ち込んでいる山肌を縫うように道が作られた時に、岩壁に沿って丸太を蔦の蔓で組み上げた桟(さん)である。ただ木組みであったため1647年に焼失したため石積みに改装された。現在国道19号線の下にその名残が残っていて長野県史跡になっている。
2km余りの距離右岸を歩いた後、木曽の棧(かけはし)に向かって木立の中の細い道を降りて行くと、芭蕉の句碑など幾つかの石碑が並んだ地点に出る。そこから赤い鉄橋を渡って国道19号線に戻る。
木曽の棧とは川を渡る橋ではなく、木曽川に落ち込んでいる山肌を縫うように道が作られた時に、岩壁に沿って丸太を蔦の蔓で組み上げた桟(さん)である。ただ木組みであったため1647年に焼失したため石積みに改装された。現在国道19号線の下にその名残が残っていて長野県史跡になっている。
木曽の棧への降り口
長野県史跡・木曽ノ棧の説明板、現在は国道19号線の下に棧の石積みが残る
国道19号線の下に残る木曽棧の石積み
再び国道19号線を木曽川に沿って北上して行き、右手の沓掛の一里塚跡から馬頭観音堂への上り坂に入る。JR中央線のガードの手前を右に上ると馬頭観音堂があり、往時はこの先へと旧街道があったのだが鉄道と国道を作ったことで消滅している。
馬頭観音堂から再び中央線のガードの所に戻り、ガードをくぐらずに線路際の草が生えた細い道が旧街道(本来の道は鉄道建設でなくなった?)なのでそこを進む。
馬頭観音堂から再び中央線のガードの所に戻り、ガードをくぐらずに線路際の草が生えた細い道が旧街道(本来の道は鉄道建設でなくなった?)なのでそこを進む。
国道19号線から右手に上って行く
沓掛一里塚跡の説明 京から66里、江戸へ71里
国道19号線、木曽棧方向を振り返る
線路際の草むらを歩く
~ つづく ~