[13日目] 38:上松~37:福島~36:宮ノ越~35:薮原 (2011.8.23)⑨

巴淵には龍神が住んでいて、それが源義仲の愛妾である巴御前と化したなどの伝説が残っている。そして義仲と巴御前の悲話は能の世界に謡曲「巴」にもなったという。折しも連日の雨で辺り一面はマイナスイオンがタップリ漂っていて何やら神秘的にさえ感じられた。この辺りは秋が深まれば川面に紅葉が映えとても美しくなるそうだ。

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巴淵 木曽川が向きを変えるコーナーに巴状に渦が出来る

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木曽川暮色・沢田正春の作品「木曽路」よりの抜粋とある

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右方向・JR宮ノ越駅1.5km 右手前方向・JR薮原駅5.5km 巴渕のバス停

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木曽三川三十六景の一 伝説の残る巴淵の説明          謡曲「巴」と巴淵の説明

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左奥から巴橋を渡って来た 中央に巴淵の石碑 右端に巴淵を覗く展望台

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左に巴淵の解説 右に慕情の碑 上に架かる橋はJR中央線

巴淵で直角に曲がった木曽川に沿って行くと久々に国道19号線に出る。木曽川はこの辺りは蛇行が激しいようで、国道はほぼ真っすぐなのに何回か木曽川に架かる橋を渡ることになる。本来の中山道はその木曽川に沿って山道があったらしいが、トンネルが出来てからはその道も廃れてしまったらしい。トンネル内はちゃんとガードレールで保護された歩道が片側だけにあり、今日から江戸方向に行くには右側を通る。

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久々に国道19号線に出て横断歩道を渡り右側を歩く(15:40)

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木曽川に架かる山吹橋を渡る 下流では国道と並行していた川も巴淵から上流は蛇行している

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山吹トンネル手前、神谷の信号 この辺りの標高は883m 塩尻まで32kmとある

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トンネルの手前でまた木曽川を渡る              山吹トンネルの歩道を行く

山吹トンネルを出て木曽川を渡ると木祖村に入る。木曽町と読みは同じだが、やな時木曽郡の中で町と村で漢字が違うのには何か因縁がありそうである。
吉田洞門を超えると国道19号線の名古屋から150km地点の道標があり、そこから1kmほどはさして見るものもなくさっと通り過ぎる。薮原の信号で左に折れる。JR中央線に沿ってそのまま進むと薮原駅に出るのだが、旧中山道は駅の西側を通っているため一旦ガードをくぐる。

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トンネルを出てまた橋を渡ると木祖村に入る

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薮原宿まで3.7km、駅は宿場の手前  今度は国道の左側歩道を歩いて吉田洞門を抜ける

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国道19号線名古屋から151kmの地点 次の信号を左手に入る

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薮原の信号を左に入る      薮原駅へは直進数100mだが中山道は左手JRをくぐる

ガイドブックによるとガードから駅までの間に一里塚跡があると書いてあったのだが、見つけられないまま薮原駅の裏側を通り過ぎる。線路方向を見ながら歩いていると小川が流れていてその脇を通り抜けて反対側に出れるようになっていたのでそこをくぐる。
ここから家に帰るのに何時間も混んだ電車に乗らなければならないのに、この日はじっとりしていたこともあり着ていたものが汗でびっしょりになっていて、自分でもわかるくらいに臭い。小川の水が澄んでいて冷たかったので、辺りに人のいないのを確認し上半身裸になりタオルで体を拭いザックの中のTシャツに着替える。

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一里塚跡を探したが見つからず、薮原駅を過ぎてからJRのガードをくぐって駅前に出る

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薮原駅正面(17:00)

薮原駅に17時に着いたものの次の中津川行きは17時35分までない。薮原から中津川までは各駅停車しかなく、中津川に着いてからも名古屋行きの特急は20分ほど普通は30分も待つことに。中津川駅で聞いたら特急は指定券が完売しているので自由席に乗っても座れないかもしれないということだったが、到着した車内を見たら空席がいくつかあったので乗り込んだ。名古屋から掛川までは新幹線で帰った。

上松宿から薮原宿までの距離23.9km。この日の歩行数39136歩。推定歩行距離29.4km。
第4回目・3日間の行程はここまでです。