東海道・小間切れ五十三次

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YAHOOのブログは、新しい記事が上に来るので東海道を道順で読もうとすると読みづらい。 そこで五十三次の各区間のトップページへのリンクのページを作ることにしました。 東海道を踏破するに要した日数…29日 ブログは「その1」から「その23」まで…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑮

新町の七曲がりにある東番所が掛川宿の入口。掛川の中心部に入ってもかつての東海道を示すものはほとんど見当たらない。唯一、連雀通りの駐車場の隅に「本陣跡」の立て札が立っているので見過ごさないように! 連雀の交差点を右に曲がり100mほどで掛川城…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑭

東海道の宿場の中で城下町の場合には外敵の侵入時に一気に攻め込まれないように宿場を通る街道をわざと曲げて作っている所が多い。例えば岡崎などは二十七曲がりもあって、僕も初回は結局道からはぐれてしまい、途中でリタイヤ。次の回で再チャレンジするも…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑬

国道一号線をただひたすら西へ向かって歩く。僕の勤めている会社(当時)がある掛川市東部工業団地(エコポリス)に入る千羽交差点、薗ケ谷の226kmポストを過ぎて本村橋を渡った所の信号から旧街道は左手に逸れて行く。ここで国道一号線とはお別れであ…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑫

道の駅で遅めの昼食を摂った後は最終目的地の掛川宿中心部を目指しまっしぐら。ところどころ国道一号線から左側に逸れた旧街道を歩くことになるが、基本一号線に沿って歩いて行く。 日坂バイパスから掛川バイパスに変わる八坂ICの横断歩道の信号を渡る(14:…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑪

川坂屋にはボランティアガイドが大勢いて、裏の茶室を案内されたり、室内の装飾についてこちらが質問したこと以外でも様々な事柄を説明してもらえた。 川坂屋を出ると高札場があり、下木戸跡で日坂宿が終わる。 川坂屋を出ると日坂宿も西の外れとなる(12;55)…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑩

日坂宿は東海道五十三次の中で「関」と並んで古い街並みの保存に力を入れているように感じる。ただ国道一号線の拡幅やバイパス化に関して、関よりも近くを国道が通っている分影響を受けている。 それでも古い建物の内部無料公開やボランティアガイドなどでは街…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑨

沓掛、二の坂の急坂を下って来て、視界が開けて来たところで現在の国道一号線である日坂バイパスをくぐると旧国道一号線を渡って日坂宿へと入って行く。今では車の通りも多くないがかつてはこの宿場内の道が国道一号線であったのだ。宿場に入って100mほ…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑧

小夜の中山峠は古くから交通の難所であったようで、京から東国へ下って行くにここを境に二度と帰れない気になるのか、峠から日坂にかけては、西行などの歌碑や芭蕉などの句碑が点在している。一つ一つ碑と説明文を写真に撮って歩いたら15件くらいの数にな…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑦

小夜の中山公園散策中ずっと枯れ葉を集める送風機の騒音が聞こえていた。公園を後に街道に戻り右手を見ると先ほど閉まっていた「扇屋」の雨戸が開いていた。 店先に置いてあった「東海道小夜の中山峠周辺案内」という無料パンフレットをもらい、さらに子育て…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑥

坂道を登り続けること25分、ついに平の所に出た。左に接待茶屋跡の碑、右手に久延寺(きゅうえんじ)がある。小夜の中山峠といえば夜泣き石の伝説が有名。現在3か所に夜泣き石があるという。その一つが久延寺の境内にある。また1600年小山評定で有名…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑤

間の宿・菊川に入ると菊川の里会館というのがありトイレ休憩に。。。 「昔をしのぶ 間の宿 菊川」の案内図 菊川の里会館(9:50) 菊川由来の石 川から菊花紋の石が多く出土した トイレの壁の民話 左壁・上「柳井戸」下「矢の根鍛冶」 右壁・上「八挺鉦」下「与…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)④

金谷宿から日坂まで上り下りが2回ある。金谷坂の石畳を上り牧の原台地の平らな部分に諏訪原城址があり、それを過ぎると今度は菊川坂の石畳を下って行く。下り切った所が間の宿。菊川である 東海道菊川坂下り口 菊川坂と金谷坂の説明 左右にお茶畑が広がる …

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)③

金谷坂の石畳を登り切り右手に行くと250mほどの所に諏訪原城址入口の標識がある。そこを右に折れて入ると、杉木立の中に鳥居があり諏訪神社の祠に出る。諏訪神社という名前から歴史好きの方ならば武田勝頼を連想できる。ここは武田軍にとって徳川方への…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)②

「金谷坂の石畳」の手前に茶屋があり、小夜の中山峠から下りて来た大名行列はここで隊形を立て直してから金谷宿に入って行ったという。この日は開店よりも前に通過したので団子を食べ損ねた。 石畳はわずかに30mほどしか残っていなかったのだが、1991…

[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)①

2010年12月11日。金谷から日坂を通り掛川までの東海道小間切れ五十三次の最終日を60歳の誕生日のこの日に合わせ調整してきた。心配は天候だけだったが、前日からやや曇り気味ではあるが、午後からは晴れ間ものぞくという絶好の予報であった。 8時…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)⑩

金谷宿は本陣3・脇本陣1・旅籠51の宿場で、そのうち佐塚本陣は現在佐塚書店となっている。 佐塚本陣は、現在の佐塚書店になった(15:00) こちらは柏屋本陣跡 柏屋本陣の説明板 お七里役所跡(七里継御状箱御飛脚小屋跡) 定飛脚問屋(三度屋)跡 東海道金…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)⑨

ガイドブックによると金谷宿には歌舞伎の白波五人男のモデルとなった、義賊・日本左衛門の首塚があると書いてあった。水神社を出て東町中のバス停に差し掛かると停車看板の所に日本左衛門の首塚という紹介があった。街道を左手に外れた所にあるとガイドブッ…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)⑧

大井川の堤防に登ってみると川幅約1kmの大井川がある。川幅1kmといっても増水時のことで、通常は広々とした河原が広がる。対岸は金谷宿で、その先に牧の原台地が横たわる。 現在では上流400mほどの所に旧国道一号線の大井川橋、さらに1km上流に…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)⑦

大井川の川越し遺跡の中央部に川越しの川札の販売や人足の手配など一切のことを取り仕切る「川会所」が置かれていた。現在は内部に当時の資料や輦台などが展示され、川越し遺跡を訪れる人のほとんどが内部に上がって展示物をを見学している。 川会所にある芭…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)⑥

島田宿から金谷宿の間には大井川があり、当時は橋がかけられてなくて人足によっての渡しであった。雨で水位が上がるとすぐに川止めになった。東海道随一の難所であったことから、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われていた。 川の近く…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)⑤

島田宿の下本陣の跡の公園まで来て、そろそろ昼時ということで旧街道沿いに食堂を探すが気の利いた所もなく、ちょっと旧街道から南に外れたJR島田駅前まで行ってみたが、ことらの方も過疎化が進んでいるのか気の利いた店が見つからなかった。 JR東海道本…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)④

国道一号線島田市御仮屋の交差点から左に逸れ、旧街道がが島田宿へと入って行く。 島田宿の入口は升形(ますがた)跡。宿場によって見附や木戸と呼んでいる所もあるが、島田では道の横に五間四方のコの字型に石垣を積んだ空き地があり、大名が出立する時など…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)③

千貫堤・瀬戸染飯伝承館で、上青島の歴史や大井川からの逆流を防ぐための堤防の話、昭和30年代の東海道新幹線やそれ以降の東名高速の盛り土としてこの辺の山が切り崩されたことなどを教わった。 少し行ったところに一里塚跡があったのだが、今では家電量販…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)②

青木交差点から旧道に入ると車の通りが少なくなる。今までの経験から旧街道を歩く時には昼食を摂るための食堂やレストランが少なく、時として2時間も昼食時がずれ込むことも少なくなかった。そんな中から学んだことは、朝コンビニに寄って菓子パンを買って…

[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)①

前回藤枝宿で西木戸跡や志田の一里塚跡を見つけられずに、勝草橋から青木交差点経由で藤枝駅に着いた。 今回は藤枝駅から最も近い青木交差点からりスタートでも良かったのだが、以降の日程を考えると今回は藤枝~島田~金谷という比較的短い行程なので、藤枝…

[その21] 20:丸子~21:岡部~22藤枝 (2010.10.23)⑪

本陣跡・問屋場跡を過ぎさらに進むと西木戸跡があるはずなのだが道標が見つからず勝草橋まで着いてしまった。広い歩道の感じからして最近勝草橋が掛け替えられたようで、その時に道標などの場所もガイドブックにある位置から変わってしまったのかもしれない…

[その21] 20:丸子~21:岡部~22藤枝 (2010.10.23)⑩

八幡交差点から道路工事区間を抜け、東木戸跡から藤枝宿に入った。旧街道は本町2丁目あたりから両側にアーケードのある商店街となる。商店街は白子・長楽寺町・鍛冶町・上伝馬町と続いている。また史跡の道標は杭や石碑ではなく歩道にタイル絵で埋め込まれ…

[その21] 20:丸子~21:岡部~22藤枝 (2010.10.23)⑨

葉梨川沿いの田中藩鬼島村地区は神社やお寺がいくつも残っており、松並木も多く旧東海道であることを実感する。 ここから旧東海道は国道一号線を渡って藤枝宿へと入って行くのだが、ちょうど八幡交差点付近で工事をやっていて迂回を余儀なくされた。車ならば…

[その21] 20:丸子~21:岡部~22藤枝 (2010.10.23)⑧

西暦1601年に東海道が整備され、明治時代は東海道に沿って鉄道が整備され、やがて昭和になって車が走り出した。それに伴い旧街道が手狭になり国道一号線として拡充してきた。さらに車の台数が増えると拡幅した所もあれば、新たに一号線バイパスを作り旧…