[その22] 22藤枝~23:島田~24:金谷 (2010.11.20)②

青木交差点から旧道に入ると車の通りが少なくなる。今までの経験から旧街道を歩く時には昼食を摂るための食堂やレストランが少なく、時として2時間も昼食時がずれ込むことも少なくなかった。そんな中から学んだことは、朝コンビニに寄って菓子パンを買ってリュックに入れておいて非常食にすることだった。
しかしこの日は藤枝の駅前や勝草橋から青木交差点まで歩いても、ついぞコンビニが見つからなかった。コンビニのもう一つの利用方法としてはトイレの借用にある。朝歩き始めが少し冷えるようになって、トイレの方も近くなってきた。そんな時目の前に「SEIYU・24時間営業」の文字が飛び込んできた。

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西友ストアーに立ち寄りトイレ休憩 お茶のペットボトルと非常用菓子パンを購入

藤枝は田中藩の城下町であった。岡部宿を離れ鬼島の従是西田中藩領の石碑から始まり、藤枝宿の中心を通り、ここ青島の従是東田中藩領の石碑跡までの約8km余りの部分が田中藩の領地であった。

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旧街道の所々に松の木が残っている

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田中藩領傍示石蹟 従是東田中領という高さ3mの石碑があった

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六地蔵尊の由来                               鏡池堂・六地蔵

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東海道蹟の説明看板

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下青島地区の追分付近

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東海道追分の説明看板

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上青島地区に残る松並木

瀬戸の染飯というくちなしで黄色く染めた強飯(こわめし=おこわ)の干したものは、足腰の疲れを取る食べ物として名物であり、ここを通る人は必ず買い求めたとのことである。
また僕の使っている東海道のガイドブックには紹介されていなかったのだが、たまたま垣根の剪定をしていた人に呼び止められて、大井川が氾濫した時に田中藩領の農地に溢れた水が逆流し被害が出ていたことから、1650年頃までに千貫堤という堤防の跡が近年まで残っていたそうで、染飯と千貫堤の伝承館が昨年オープンしたというので立ち寄った。

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染飯茶屋蹟

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脚立に登って垣根の剪定をしていた人が千貫堤の案内をしてくれた

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千貫堤の説明板

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千貫堤・瀬戸染飯伝承館(9:35)

~つづく~