[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)⑧

小夜の中山峠は古くから交通の難所であったようで、京から東国へ下って行くにここを境に二度と帰れない気になるのか、峠から日坂にかけては、西行などの歌碑や芭蕉などの句碑が点在している。一つ一つ碑と説明文を写真に撮って歩いたら15件くらいの数になった。

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壬生忠岑の歌碑         「東路の さやの中山さやかにも 見えぬ雲井に世をや尽くさん」

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峠の茶店から緩やかな下り坂が続いている

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山腹に「茶」の文字が茶木で書かれている粟ヶ岳

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松の根元で自害した妊婦小石姫の墓 墓碑に「往古懐妊女夜泣松三界万霊・・・旧跡」とある

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涼み松広場に芭蕉の句碑がある

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松尾芭蕉の句碑「命なり わずかの笠の 下涼み」

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こちらも松尾芭蕉の句碑

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松尾芭蕉の句碑                     「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」

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夜泣石跡    夜泣き石は明治天皇御東行の際道路脇に寄せられ、その後国道一号線の現在地に設置

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広重の五十三次・日坂の図には道路のど真ん中に夜泣き石がある

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安藤広重東海道五十三次の浮世絵の説明

広重の東海道五十三次の浮世絵の日坂の図には、峠からの急坂の麓の道のど真ん中に大きな夜泣き石が描かれているが、実際は峠からこの地点まではダラダラとしたゆるい下り坂であり、ここから日坂宿にかけて二の曲がりとか沓掛と呼ばれる急坂の区間になる。
さらに余談であるが、現在夜泣き石は国道一号線脇と旧街道の久延寺境内の二か所にある。明治になるまでこの地点で道のど真ん中にあった石は、明治天皇が東京に下られる際に道端に移され、さらに東京での博覧会に出品された後この地に戻されずに現在の国道一号線の小夜の中山トンネル脇の公園に設置されている。

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この辺りから下り勾配がきつくなる     道が折れ曲がっていて高低差がずいぶんあるのが分かる

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詠人不知「甲斐が峯をさやにも見しがけけれなく横ほり臥せるさやの中山」 二の曲りと沓掛の説明板

~つづく~