[その21] 20:丸子~21:岡部~22藤枝 (2010.10.23)⑧

西暦1601年に東海道が整備され、明治時代は東海道に沿って鉄道が整備され、やがて昭和になって車が走り出した。それに伴い旧街道が手狭になり国道一号線として拡充してきた。さらに車の台数が増えると拡幅した所もあれば、新たに一号線バイパスを作り旧国一は県道へと格付けが下げられた。
特に宇津ノ谷から岡部、藤枝にかけては、その都度道が新しく作られたために旧街道が古い姿で残っている部分が多い。松並木や神社・仏閣も当然多く残っている。

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仮宿の横断橋を降り旧街道に入った所の松           従是西田中領と書かれている傍示石

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従是西田中領の傍示石の由来が石に掘られている

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枝ぶりの良い松                          葉梨川の土手に立つ大きな木

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一旦国道一号線に戻るがすぐにまた左に逸れて行く 日本橋から197km地点

仮宿から葉梨川に沿う形で旧街道がある。鬼島地区に入ると一軒の民家の前で柿を売っているおばあさんがいた。今年は猛暑の影響で柿が小ぶりだということで5個入っている袋が100円。それは安いと一袋買って家への土産にした。

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道路脇で次郎柿を売っていた         鬼島の一里塚跡を探したが見つからず地蔵の祠を撮影

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葉梨川に架かる八幡橋を渡る

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葉梨川

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八幡地区の旧街道

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鬼島の立場                        鬼島の建場(たてば)の説明(14:25)

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広重の雨の藤枝の浮世絵

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旧街道には神社が多い                                秋葉灯籠

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須賀神社のクスの木の説明板

~つづく~