[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)③
金谷坂の石畳を登り切り右手に行くと250mほどの所に諏訪原城址入口の標識がある。そこを右に折れて入ると、杉木立の中に鳥居があり諏訪神社の祠に出る。諏訪神社という名前から歴史好きの方ならば武田勝頼を連想できる。ここは武田軍にとって徳川方への最前線だった山城である。
3年ほど前に友人の歴史ノンフィクションライターのT氏が掛川に来た時に、高天神城を車で案内し、さらに小夜の中山を通って島田宿まで送って行ったことがある。その時に諏訪原城も案内したかったのだが場所が見つからずに断念した思い出が蘇って来た。
城址の中は杉木立に囲まれており、たくさんの堀に防御されている。二の丸跡や三の丸跡など発掘調査中なのか青いシートがいくつか掛けてあった。
3年ほど前に友人の歴史ノンフィクションライターのT氏が掛川に来た時に、高天神城を車で案内し、さらに小夜の中山を通って島田宿まで送って行ったことがある。その時に諏訪原城も案内したかったのだが場所が見つからずに断念した思い出が蘇って来た。
城址の中は杉木立に囲まれており、たくさんの堀に防御されている。二の丸跡や三の丸跡など発掘調査中なのか青いシートがいくつか掛けてあった。
杉木立の中に壁のように堀割が造られている
大手郭の説明看板 十一号堀は深さ1m程度と浅く敵の気勢をそぐ目的
武田方当城主・今福浄閑戦死墓塚と書かれた石柱が茶畑の中にポツンと立つ
~つづく~