[その23] 24:金谷~25:日坂~26:掛川 (2010.12.11)②

「金谷坂の石畳」の手前に茶屋があり、小夜の中山峠から下りて来た大名行列はここで隊形を立て直してから金谷宿に入って行ったという。この日は開店よりも前に通過したので団子を食べ損ねた。
石畳はわずかに30mほどしか残っていなかったのだが、1991年に金谷町民(当時)600名による「平成の大普請」で復元された。石畳の丸石は少し歩きにくい感があるが、往時の旅情を十分に感じさせてくれる。
登り始めてすぐ右手に地蔵堂や庚申堂がある。旅人の安全を祈願する目的で造られたものである。

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石畳の手前にあるお休み処「石畳茶屋」は9時開店(8:30) 島田市指定史跡「金谷坂の石畳」の説明板

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仁誉地蔵尊

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鶏頭塚の説明板「曙も夕ぐれもなし鶏頭華」という巴静の句が紹介されている 俳人・巴静の鶏頭塚

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庚申堂

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庚申塔三猿「良き事は大いに広め悲しきをば見ざる聞かざる言はざるが良し」   庚申堂の由来

「金谷坂の石畳」は全長430m。それでも急坂なので息が切れる。ところが写真にすると急坂のイメージは全くしなくなってしまう。それでも杉木立の中を登って行くと、突然のように前が開ける。
登り切った所の左手1.5kmの所に芭蕉の句碑が残っているとあったが、右手の旧街道の先を急ぐことにした。

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杉木立の間を縫って石畳の坂を登って行く      上り坂の勾配のきつさを写真に収めることは難しい

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ようやく先が開けて来た                      「金谷坂の石畳」の最終地点

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振り返ると石畳の旧街道は林の奥へと落ちて行く

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明治天皇御駐輦阯        左手1.5kmの所に芭蕉の句碑があるが、旧街道を右手に進む

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ここらは一面牧の原台地の茶畑である

~つづく~