別れの日

正月が明け1ヶ月近く連絡がなかった。彼女は僕の思いを真面目に受け止めてくれ義姉さんにも相談したと言っていた。次に会った時に真剣に付き合っていくことを了承してくれた。

その後のデートで初めてお昼のお弁当を作って来てくれ、早朝の電車(当時は急行東海が静岡まで1日4往復くらいあった)で静岡の久能山にいちご狩りに行ったこともあった。ところがこれが大誤算で静岡駅から日本平に行くのに大渋滞。お昼過ぎにやっと日本平でお昼を食べ、今度は久能山の下のイチゴ農園に行きたかったのだが、ロープウェイは混んでいていったん静岡駅方面にバスで戻って改めて久能海岸へと向かったが混雑は解消されていなかった。結局いちご狩りしないで土産のいちごを買っただけで帰って来た。それでも二人きりの時間が最も長かった一日で疲れたが幸せだった。
それからしばらくはそれまでよりもより親しくなり、頻繁に会った。でも彼女の気持ちが僕に向いていることを確認出来た後にもかかわらず、相変わらず僕は彼女の前ではシャイなままであった。
秋に入った頃、横浜の港が見える丘公園から外人墓地を抜け元町公園のベンチに腰を下ろした時、それまでのやり取りは忘れてしまったが、彼女は突然涙を流した。初めて見る彼女の涙に僕はただうろたえなすすべもなかった。
次にいつもの喫茶店で会った時、先に来ていた彼女を僕は見つけることができずに、まだ来ないまだ来ないと1時間くらい待ち続けた。さすがに痺れを切らしていると、それまで肩まであった真っ直ぐの髪を短くし、ピンクの口紅をバラ色に変えた彼女の怒った姿が目の前に現れた。「時間通りに来ているのに、どうして気が付いてくれないの!」
その日彼女の方から別れを切り出した。

しばらくの期間というか、それ以降ずっとなぜ別れることになったのか理解ができなかった。あんなに彼女のことが好きでたまらなかったのに___

彼女との最後のデートは寮の年末ダンスパーティだった。毎年開いているパーティだったが、その年は僕は役員だった。そこに初めて彼女が来てくれた。
役員だったので来てくれたゲストの方を接待しなければならなかった。ただ、ラストダンスだけは彼女と踊った。最後の日の彼女は初めて見る黒のビロードのワンピースで、全体だったか胸の部分だけだったかは忘れてしまったが小さなバラの花がいっぱいプリントされているものだった。パーティが終わって女子寮まで送り届け、僕の初恋はそこで止まった。彼女が23歳、僕は22歳になったばかりであった。

今になって思う、単に僕の口数が少ないことだけが原因ではなかったのだと。大好きな人と一緒に居るだけで幸せになれると思っていただけで、二人の将来の姿だとか、共通の目標を思い描くことができていなかった。それを彼女と話して共有することができていなかったからなのだと。だから将来を僕に賭けることができなかったのであろうと。
ただ好きという気持ちだけでは___

長い歳月が過ぎ、会社生活を終える直前の2010年11月、最後の横浜出張の際に、港の見える丘から外人墓地、元町公園を歩いてみた。