東北一人旅

僕は家が貧乏だったにもかかわらず子供の頃からあちらこちらを放浪する旅に憧れていて、高校時代は鉄道の時刻表を手に入れて汽車の乗り継ぎなどを計算しながら仮想旅行をするのが好きだった。
ちなみに45歳で交通事故で死んだ父は、子供の頃に小児まひになったことで徴兵されなかったこともあって、生涯を通じて新潟県をたった一度しか出たことがなかった。それも実家の雑貨屋に食品を卸している問屋のトラックで北信地方のりんごを仕入れに行くのに同乗させてもらったので、新潟県から50km程度しか離れていないことになる。
話を戻して、会社に入って2年目の19歳の夏休みに人生初めての一人旅に出た。行先は東北。当時会社には東北からの集団就職者が多く、初恋の彼女も秋田出身だったことから東北旅行を計画したと思う。
会社に入って一年目ではそんなに資金があるわけでもなく、テント(どういうわけかテントとラジウスバーナーを買って持っていた)持参で野宿か駅構内で寝泊まりすればいいやという気で、さらに割安な周遊券の範囲内であちらにもこちらにも行こうと欲張ったプランを立てた。さらに混雑を避けるため秋田の竿灯や仙台の七夕の日を避ける旅程とした。

1970年8月7日夜行列車で上野を発ち、2日目は二戸だったか八戸だったかから十和田湖を経て秋田に出て駅の待合室で泊った。
3日目は男鹿半島めぐりの観光バスで夕方秋田駅に戻りその後田沢湖に出て、田沢湖畔でテントを張って寝た。この時田沢湖駅で声を掛けて来た同類の若者を僕のテントに泊めてあげた。
4日目は盛岡に出て城跡まで行った後宮古まで行き、浄土ヶ浜の砂浜にテントを張った。
5日目は釜石、花巻経由で平泉・中尊寺を拝観したあと、仙台経由で松島に行って遊覧船に乗った。松島の港で船を降りて船長にテントを張れる所はないかと訊いたら、親切な船長さんで夜は空いているからこの船に泊れと言ってくれた。
6日目は仙台に戻り青葉城まで往復した。その後磐越西線で新潟へ行く汽車まで時間があったので、東北(仙台)営業所にいる入社時研修で寮に来ていたS君に電話したが外出中だった。にもかかわらず汽車の出発時間直前にホームまで来てくれ、土産までもらってしまった。
そんなこんなで夏休みの後半のお盆時期は、新潟の実家に戻って幼馴染たちと過ごした。

アルバムに残っている周遊券によると、当時東京から東北一周の国鉄の周遊乗車券は有効期限10日間で5700円であった。帰りに新潟の実家に寄った分は途中下車と認められていた。

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東北旅行の様子を整理してあるアルバム

彼女には旅行前に旅程をコピーして渡してあったのだが、かなり強行軍だねとぐらいしか言っていなかった。
夏休みが終わり最初に彼女に再会した時、3日目の夕方秋田駅まで行ったんだけど居なかったね。とクレームがついた。その日は男鹿半島から秋田駅に着いた時間が少し早くて、田沢湖での野営のことも心配だったので渡してあった旅程表の列車よりも1本早い列車に乗ってしまったのであった。
ひょっとしたら会いに来てくれるかもと期待していて、駅にあった伝言板に1本早く出発すると書いたのかどうか、今では思い出せない。
初恋の彼女との初めての微妙なすれ違い。現代だったら携帯電話で連絡が簡単にできるのに、当時は一度家を出たならば連絡を取るのが困難な時代であった。

その後東北へは、1976年正月に八幡平へ友人4人でスキーに、1990年冬に母と妻と3人で鳴子温泉へ行ったくらいで遠い存在である。
最近では、2010年10月に2泊3日のパックツアーで十和田湖平泉を再び訪れた。また昨年の大震災後にボランティアで宮城県に行った時に仙台を約40年振りに訪れた。さらに観光地には行っていないが、9月に岩手県にボランティアに行き。今春も4月に陸前高田市へ行く予定である。