親友K君との登山

僕は今までに本格的な登山の経験はほんの数回しかない。その中でも印象に残っているのは、1974年8月の南アルプス北岳(3192m)・間ノ岳(3189m)・農鳥岳(3025m)からなる白峰三山(しらねさんざん)の縦走である。間ノ岳農鳥岳の間にある西農鳥岳(3051m)の方が農鳥岳よりも標高は高いのだが、白峰三山の一つは農鳥岳なのである。北岳は富士山に次いで日本で2番目に高い山。
もちろん富士山(3776m)にもたった一度登ったことがあるのだが、吉田口の五合目までバスで行きそこから登り始めて夜の間に6~7時間で登れるので、本格的な登山とは言い難い。ただ夜の夏山をバカにして軽装で行ったため、夜明け前の頂上の寒さに耐えきれずお鉢廻りもせず、ご来光を見るのも断念して下山してしまったという苦い経験ではあった。
話を元に戻すと、僕は会社に入った時の研修の一環で指導員の引率で初めての本格的な登山をやった。
総勢60名くらいであったが田代ダムから転付峠を越えて二軒小屋に入り悪沢岳東岳)まで行って帰って来るという2泊3日のコースだったのだが、60人も行くと体力のない奴もいるわけで、結局デブっちょの研修生と研修係長がバテて一日目に転付峠を超えることができずに広い所にテントを張ることになった。二日目はそこにテントを残して軽装になった状態で初日に予定していた二軒小屋まで往復しただけの、極めて不満足な初登山であった。
この研修は毎年行われていたのだが、後にも先にもこんなみじめな実績は僕の世代だけだったのであり、いつかリベンジしたいと考えていた。

白峰三山にはK君と一緒に登った。K君は会社生活では3年後輩ながら、僕が高卒で彼は大卒なので学齢では1歳上。同じ寮に住み、同じ職場に配属されて来たことですぐに親しい友達となった。
新宿から甲府に向かう夜中の電車の4人掛け席で向かいになった、鳳凰三山に向かう女性の二人組と意気投合したが、コースの話で間ノ岳をつい「まのだけ」と言ってしまい初心者登山と見抜かれて引かれてしまった。
2泊3日の行程で覚えているのは、1日目の途中の急こう配の手前で腰が引けくじけそうになったことと、2日目農鳥岳からの下山途中で雨が降り出しテントを張り暗闇迫る中夕食を作っていて、ついラジウスバーナー操作をミスして石油が噴き出してその匂いが充満する中で一晩を過ごさなければならなかったこと。でもそのテントを張った場所がベストな場所で、朝起きてテントの入口を開いたら偶然にも真正面に朝焼けの富士山が見えたことで一気にハイテンションになった。
麓に降りてバスでどこだったか忘れたが国鉄の駅に出て汽車を待つ間、どちらからともなく思いを寄せている人に絵葉書を出そうということになったのだが、僕は5月連休の北海道から絵葉書を貰ったYちゃんに山頂で鳥が飛び立つ瞬間の写真を撮ったよと書き、そして彼もなぜか僕が書いたYちゃん宛ての絵葉書の空きスペースに登山の感想を書いた??

K君とはこの後も色々あったが親しく付き合い、数年後に女子寮の寮監というものになった時には、男子禁制にもかかわらず何かにつけて彼を事務室に訪ねて入り浸っていたこともあった。
7~8年後、彼の家庭の事情で広島県の福山の事業所に転勤となり、彼も僕も結婚したての頃に僕が姫路に研修で数か月単身赴任していた時に1度だけだったが彼の家にお邪魔し一晩泊まったりもした。
それからは丸の内の本社で行われた会議か何かで一度会ったきりで、10年ぐらい疎遠になっていたのだが、僕が子会社へ出向になり掛川に移って何年かして彼と同期入社の方から彼の訃報を聞くことになるとは___

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K君との思い出が詰まった2ページ