入社

最初は白内障の手術前に久し振りで開いたアルバムをきっかけに思い出の場面を回想し始めたのだが、一つの場面を思い出すとそれに触発されて次々と当時のことが蘇って来て、さらにそれがいくつも関連し合うことが多く、今までのように思いつくままに文字にしていると流れが複雑に絡み合って判り難くなりそうなので、ここからは入社から結婚に至るまでの期間についてある程度時系列に整理して行くことにする。

1969年4月1日の入社式に合わせて3月30日に入寮。前日までお世話になった東京の叔母の家から道案内と様子見のために従弟が付き添ってきてくれた。雨が結構降っていて、大船駅から会社の正門前を通って独身寮まで行くのに幹線の鎌倉街道を超えてからの数100mは未舗装道路だったためぬかるんでいた記憶がある。
寮には同期入社の9人と、広島と仙台の営業所採用で1年間一緒に研修をする2人がいた。さらに僕の年からは採用が無くなったのだが前年と前々年の中卒の訓練生が10名程度いた。さらに困った時の相談役ということで、「寮兄」と呼ばれている御目付役も2人もいた。これらの総務課教育係所属のものは、3階建ての寮の1階に6畳一間の部屋に2人ずつ入っていて、2・3階には怖い先輩たちがいた。

4月1日の入社式の日は快晴で、会社構内の桜並木は満開であった。その年の高卒の採用は僕と同じ処遇の事務・技術系統の男子は地元からの通勤者3人を含め12名。総勢は120人くらいであったが、その内の70名近くは地方から出てきた女子寮生であった。
12名のうち30歳前にガンで死んだ1名を除き、残り11名は景気の波などで散り散りばらばらの事業所や関連系列会社に移ったものの、一人も転職しないで定年まで勤め上げたり、今なお現役で頑張っている。親会社の規程では入社日の前日が退職日になるのだが、既に出向先に転籍になっていた僕は60歳の誕生日後の給与計算月でいの一番で辞めた。

入社後最初の日曜日にあたる4月6日には、寮に入った同期のメンバーの何人かで、寮が大船にあった関係で鎌倉を散策している。江の島に行って灯台に上ったのは記憶にあったが、それ以外はどこに行ったか覚えていなかった。今回アルバムを見返して鶴岡八幡宮七里ヶ浜の風景が写っているのは確認できた。

イメージ 1
初めての鎌倉見物