沖縄への船の旅

1972年5月15日に、終戦後ずっとアメリカに統治されていた沖縄が返還された。
その翌年の5月連休に僕は沖縄に行った。僕が勤めていた大手電機メーカーの労働組合の青年婦人部が、神戸から船を貸し切って全国各支部から募った700人のツアーを組んだのだ。僕が勤めていた大船からは男9名、女11名が参加した。
お世辞にも大きいとはいえない旅客船神戸港を5月1日昼過ぎに出港し、船中2泊約45時間かけて3日の午前に沖縄港に到着。島内観光の後、インブビーチという所にテント設営。4日は島内観光で「ひめゆりの塔」や「摩文仁の丘」へ行った。5日は沖縄県庁、那覇市役所などを横に見ながら国際通りでショッピングをし、また那覇港から帰りの船に乗船。神戸には7日の昼前に戻るというスケジュールであった。
当時返還されたとはいえまだアメリカによる統治の跡が多く残っていた。端的なのが車が右側通行だったので、バスは運転席が左ハンドルで私たちは右側の昇降口から出入りした。今でこそ外国に何回も行って違和感を感じることはないが、その時は初体験でまごついた。さらに海外旅行と同じように免税品の制度があり、スコッチウィスキーや「うるま」だの「パープル」だのといった沖縄たばこを土産に買い求め、船に乗る時に密封された袋で渡された。

この船の旅で強烈に覚えていることは、行きも帰りも大しけで700人の参加者中、船酔いをものともせずに船内を走り回っていたのは僕を含め7~8人だけだったこと。全滅の船内、みんなゲロを吐きまくり、異臭が漂っているから、さらに酔うという悪循環。食欲もなくなって腹の中が空ということで胃液まで吐く始末。そんな中で献身的にみんなが吐いた洗面器を持ってトイレで流し、洗面器を洗うという作業を繰り返していた。特に前年入社の同じ新潟県出身のJちゃんの症状が重く、入社直後から妹分のように接していたのでずっと付きっきりで面倒を見て上げた。そんな有様だから船内で行われる予定だった交流行事は当然大幅縮小。当時はやっていたTV番組「パンチでデート」を真似したお見合いゲームだけは行われたのだが、参加者が集まらなかったので僕に出番が回ってきて、姫路の女の子とお見合いしたものの見事に振られた。
ところが現金なもので那覇港で下船するとたいていの人間はスパッと切り替わって元気を取り戻していた。
5月連休の沖縄は梅雨直前ということでスカッと南国の青空とはいかなかったが、パイナップル畑やハブとマングースのショーなど異国情緒を楽しめた。
また行きの船では、鹿児島の南部の火山島がちょうど活動中で、夜の闇の中で火柱を上げている光景も見ることができた。

この時同行したメンバーの中で僕の好みの子が一人いた。その人がこのシリーズの最初の方のページの僕の胸を貫いたときめきの人で、彼女の方も僕が元気に動き回っている姿を見ていたようだ。

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沖縄への船旅の様子を整理してあるアルバム

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那覇出航前に撮った集合記念写真          今でも仕舞ってある沖縄旅行のしおり

50歳を過ぎてからダイビングをやるようになったこともあって、2000年以降沖縄へは石垣島も含め11回も訪れているが、返還直後に訪れたことはまた別の思い出となっている。