1973年~1974年

僕が入社した大手電機メーカーでは入社時の学歴によって、中卒入社は3年の訓練期間を経て一般職、高卒入社は1年の研修期間を経て一般職に登用され、大卒者は1年の研修期間を経て主務職で登用される制度であった。主務職は自分の力量に応じ仕事が任されるが、一般職は技能系統ならば現場に回され、事務・技術系統ならば主務職の人の補佐的な仕事が与えられる制度であった。
高卒者が大卒者と同じ主務職になるためには、入社5年目に行われる資格変更試験に合格する必要があった。これの一発合格率は30~40%程度で、3年くらい掛かっても合格できなければ、使えない人という感じで年功序列の賃金でどんどん格差がついて行った。
僕にとって1973年はまさに試験の年で、それまでの仕事の評価に加え、技術系ならば数学と英語に専門教科の学科試験プラス会社幹部による面接で合否判定がされた。合格ならば大卒と同学齢の人と肩を並べることができる制度であった。当然、秋に行われる学科試験のウェイトが一番大きかった。会社に入って4年もたっていると高校時代に教わったことはかなり頭から抜けていて、独学でかなり頑張らないといけなかった。

5月連休の沖縄から帰った頃から半年間は就業時間後寮に帰ってからかなり頑張ったのだと思う。なぜならば、6月のキャンプ以後年末まで例のときめきの人との2回のデート以外に女性との付き合いの記憶がないからである。幸いにも試験は一発で通過できた。
1974年3月、僕は初恋の人に別れてからたった一回だけ電話をしている。電話して試験に合格したよと告げて褒めてもらいたかったのだが、1年以上経って聞く彼女の言葉は冷たかった。この時まで心の奥に抱き続けていた未練は完全に消えてしまった。

僕は車の運転免許を1971年12月に取得しているが、自動車なんて買うお金もなくて、ようやく中古のオンボロ車を手に入れたのが1974年の4月ごろであった。最初1973年の秋に横須賀に住んでいた会社の後輩の軽自動車(N360-Z)を譲ってもらうことになっていたのだが、譲ってくれることになっていた当日朝に通勤途中で事故にあってボコボコになってしまい結局廃車でおじゃんになった。しばらくして寮近くの自動車整備工場で、既に7~8万km走っていたカローラ・スプリンターのクーペを買った。この車で僕はアッシー君になってしまうのだが、その話はまたいずれ___

1973年~1974年の年譜を書くとしたら次のようになる。
1973年4月 後に2番目の恋人になるYちゃんが入社してきた
1973年5月 沖縄旅行 ときめきの人と知り合う 船中では船酔いのひどかったJちゃんの面倒を見ていた
1973年6月 本栖湖キャンプでときめきの人から逆告白された
1973年夏~秋 ときめきの人と2回ほどデートをした
1973年秋 資格変更試験を受けた
1974年2月 妹のようにしか思っていなかったJちゃんからバレンタインチョコを貰った
1974年春 オンボロ中古車を買った
1974年4月 現在の妻が入社してきた 当時は個人情報保護法などなく社内報に新入社員が一人一人顔写真入りで紹介されていて、同郷から出て来た妻に関心を持った
1974年4月 しばらく連絡のなかったときめきの人が旅行先(伊豆大島or八丈島?)から絵葉書をくれた
1974年5月 北海道に旅行 Yちゃんが旅行の実行委員だった 参加者の中にJちゃんもいた
1974年6月 労働組合が主催した新入生歓迎会で現在の妻の姿を初めて見た
1974年8月 親友のK君と夏山登山をした
1974年9月 僕のオンボロ中古車で仮免路上練習に付き合った同期入社のN君が免許を取り、初ドライブにYちゃんと友達のMちゃんを誘って台風が近付いていたのに御前崎までドライブした
1974年秋 Yちゃんと付き合い始めた

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御前崎までドライブした時のアルバムのページ