であい

研修生時代は色々な行事があったり、職場実習があった。
行事は半分研修担当教官によるしごきの場(?)でもあった。入社直後の自衛隊御殿場基地内の施設での合宿と太郎坊への登山。夏山登山。研修明け前のマラソン大会とそれに向けての朝礼後のロードランニングは一カ月続いた。今でも鮮明に覚えている。
職場実習では事業所内の技術部門や製造部門の各課での業務把握や先輩たちとの顔つなぎが主目的なのだが、交替制勤務の過酷さを知るために2交替勤務も4週間あった。
当時製造課の大半は地方から集団就職で出てきた女子工員で占められており、会社横の女子寮に200人以上住んでいた。若い女の子ばかりの職場に4週間も居られるというだけで、すごくワクワクした気持ちになったものだ。
交替制実習は早番6時から14時、遅番14時から22時を1週間ずつ交互に2回繰り返した。また早番勤務が終わってからとか遅番勤務の前とかの楽しみもあった。6月から7月の梅雨時ではあったが鎌倉の海に行って泳いだりもした。
そんな交替勤務の初日作業場所を割り当てられ作業方法などを聞いていると、その横から鋭い視線が注がれているのに気付きそちらに振り向いた瞬間に僕の背筋に電撃がはしった。それが初恋の人との出逢いだった。その時の衝撃は長かった今までの人生でたった一度だけ感じたものだった。

交替制実習中は通勤の3名も寮生活に入ったので、寮では毎晩交替制実習中に接していた女の子の話題で盛り上がっていた。2交替で2班に分かれていたのでいつか派閥のようなものも出来て、同じ子を好きになっただの、反対番の子に手を出しただの、話題に事欠かなかった。
僕はできるだけ好きになった人の話を避けていたのだが、普段の態度やしぐさに出ていたようでみんなに良くからかわれていた。
その人はピンクの口紅を付けていたので、僕の仲間の中では「ピンクちゃん」と呼ばれていた。それ以降の数年間の印象がよほど強かったのか、未だに僕が「ピンクちゃん」と結婚したものと信じている情報に疎い奴もいて、最近の同期会でもその話題が出て否定しなければならないほどであった。
実習現場で毎日顔を合わせるたびに自分の心の中でその人の存在がどんどん大きくなって行くにもかかわらず、告白できずに実習の期間が無くなって行き、ただでさえ憂鬱な梅雨の季節なのに寮の部屋で悶々と過ごしていた。結局何の告白もできないまま実習期間は終わった。

その人と付き合うことができたきっかけは、当時女子寮では料理やお茶、お華に始まって洋裁だの和裁だの今でいえばカルチャーセンターのような花嫁修業のような講座が開かれていた。どんなタイミングでだったか忘れてしまったが、その人が和裁のテーマの浴衣を作るので採寸させて欲しいと言ってきた。
またその直後、僕が入社した年は東名高速道路が全線開通した年だったこともあって、会社全体で24~5台の観光バスを連ねて浜名湖舘山寺まで旅行することになった。その人とは職場が違うので別々のバスだったのだが目的地で顔を合わせ言葉を交わし、帰りの牧の原サービスエリアで写真を撮った。
後日、その写真を渡す目的でその人を呼び出して喫茶店で会ったのが、最初のデートだったと記憶の中にある。
アルバムの中にその時の写真があったはずなのだが、このシリーズの最初ページ空白に書いたように既に捨ててしまった。ネガについても大量に保管されているのだが、いくら探してもその中に見つからなかったので、その時に捨ててしまったものと思われる。アルバムの別のページにはその人と女子寮で同部屋だった人や研修の教官などとお茶畑をバックに撮った写真は残っているのだが___
一方、浴衣は僕にとってその人からの最初のプレゼントで、幾つかある寮の自治会が毎年開いていた盆踊りで付き合っていた期間はもちろんのこと、別れた後でも数年着ていたのだが、いつの時点で廃棄したのか今ではわからない。

盆踊りといえば彼女と付き合って2年目に僕が寮の役員をやっていて、男子寮からの出し物が女装ということになったがスカートを借りたりとか当時話題の格安口紅を買ってもらったりとか手伝ってもらったこともあった。
女装といえば、去年タイのカオラックにダイビングに行った時にオカマバーに連れていかれて、生涯2回目の女装をしたっけ___

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アルバムにある盆踊りの写真 初恋の人に作ってもらった浴衣で踊っている