東欧旅行記 7日目の2 (2016.5.25)

ブラショフの街の中からブラン城までは1時間弱。13世紀の初めにドイツ騎士団によって建てられた石造りの要塞。
イギリス時代のアイルランド人作家ブラム・ストーカーの恐怖小説『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)に登場し有名になった。しかしストーカーそのものはルーマニアに行ったこともなければ、アイルランドすら出たことはなかった。その後舞台戯曲などを経て、1931公開の映画「魔人ドラキュラ」のヒットで世界的にドラキュラのイメージが確立された。
一方ルーマニア南部トランシルヴァニア地方にあるブラン城はオスマン帝国からの侵略に対してミルチャー公に管理を任されたが、その後ブラショフ市に所有権が移る。1920年ルーマニア国王フェルナンド1世の王妃マリア妃に寄進され、マリア妃によって改修されその住居となり、彼女の娘のイリアナ王女に遺産として残された。1948年王家の追放後の共産主義政権下でルーマニア国の財産となった。
ドラキュラの名はミルチャー公の孫ヴラド・ツェベシュ3世が父ドラクルの子ということで、後に-aを付けてドラキュラと呼ばれていたことからくるが、彼自身はこの城に住んだことはないのだが世界的に大ヒットした小説や映画のイメージからドラキュラのモデルだとされている。

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ブラン城の見学は雨の中であった

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城に登って行く途中にある十字架

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ブラン城の入口

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玄関を入ったところ 見学者への最初の説明ポイント

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入口に掲げられている、ブラン城の内部の装飾を行ったマリア王妃の肖像

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20世紀初めの外観写真

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入ってすぐの所にある使用人の居室

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来客者の応接間

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熊の毛皮が敷かれたリビングルーム

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寄木細工のような調度品

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中庭に面した部屋に出た

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井戸のある中庭が眼下に見える

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逆方向に目をやると城の方に上がって来る道が見える

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壁の後ろを通って忍者屋敷のような秘密の通路が通っている

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この肖像画がドラキュラのモデルといわれるヴラド・ツェベシュ3世

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城内にはマリア妃やその娘イリアナ王女があつらえた調度品が並ぶ

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タイル張りの薪ストーブだが、冬場はこれでも冷え込んだであろう

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中世騎士の鎧も飾られている


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壁飾られた盾

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古井戸のある中庭にも降りてみた

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1時間半にも及ぶドラキュラ城の探検ツアーを終えてブラン城の外へ出た

ブラン城を出て、麓の土産物屋でアンチエージングのフェースクリームなどをを買い求めてから、ブラショフからシナイアを通って朝通った道をブカレストへと戻った。
夕食はホテルに戻らずブカレスト市内のレストランでということで、夕刻時間調整のため革命広場や大学広場の周辺でバスを降りて写真撮影などを行った。

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羊の草原を走る

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ブカレストに近付く 日本と同じで電柱の数が多い

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東方正教の教会の脇を通る

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凱旋門の側を通過 ここまでくればホテルも近い

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通勤帰宅ラッシュか片側に車がびっしり

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共和国宮殿

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革命広場

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共和国宮殿前の騎馬像

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街の中のレストラン

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夕食は魚料理だった

=つづく=