東欧旅行記 10日目の1 (2016.5.28)

この日は7時にモーニングコールで、8時半にバッゲージダウン、9時ホテル出発である。
前日夕方に届かなかったHさんのスーツケースも、バスを会社の車庫に戻し息子の車で郊外の自宅に戻っていた運転手のデミタールが呼び出されて戻り、何とか無事届いたとか。
そんなこともあったので、出発前には皆のスーツケースが揃っているか慎重に確認してからバスに載せられた。

この日は最終日なので、午前中は最近開通いたばかりという高速道路を走ってソフィアの南約65kmにあるリラの僧院へと向かい、午後からはソフィア市内に戻り市内観光、そして夕食を食べ終わったら空港へと向かい、来た時と同じくイスタンブールを経由して翌日夜に成田へと帰国するという予定である。

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ここ2日間は雨模様の観光であったが、この日は朝から快晴である

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朝食ビュッフェ さすがにブルガリア、ヨーグルトの種類が多く採るのに迷う

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チェックアウト といっても精算することもなくルームキーを返すだけ

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参加者+添乗員のスーツケースが9個あるのを皆の目で確認

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首都ソフィアをとりあえず出発

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連結バスが走って行く

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旧共産圏ではトロリーバスをよく見かけた

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郊外に出ると渋滞はない

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高速道に乗ると流れはスムーズである

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行く手に白い山を超えるとギリシャはすぐそこだとか シルビアさんがこのまま行こうと唆す

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高速を出てリラの僧院に向かう道をひた走る

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観光後に昼食を予定しているホテルでトイレ休憩

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ホテルの周りには小さな花がいっぱい飾られていた

リラの僧院では、ブルガリア正教のシンボル的な大聖堂の見学。
10世紀にイワンがこの地より10kmほど山中の岩穴に住み着いて祈りを始めた。その後次々と人々が近くの岩穴に移り住むようになった。
14世紀になると土地の領主フレールさんが、寺院を建てる土地を寄贈した。
日本の幕末期にあたる頃オスマントルコに占拠されたが、司令官はこの土地の焼き討ちを命じることはなかった。
東方正教の教会は東側に祭壇が設けやれ、三位一体の祈りの仕方は三本指を揃え、上・下・右・左の順に祈る。カソリックで左・右の順に祈るのと異なる。三位一体を現す三角形の五光も特徴的。
などなどガイドのシルビアさんの流暢な日本語の説明はわかりやすかった。

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バスの駐車場に到着

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門をくぐり抜け僧院の中庭に 奥の山の白さが美しい

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修行僧の宿舎 日本でいえば宿坊というところか

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ブルガリア正教のシンボル的な存在である大聖堂

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1833年の大火災を免れたフレリョの塔

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後方の三角の光が三位一体を表す

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裏口に抜ける門の上には鹿の角が取り付けられている

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その裏側にも三位一体を示す絵が。。。

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エスを抱えるマリア像

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門の中心の絵

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中庭に戻ってフレリョの塔

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フレリョの塔の中央に描かれた三位一体の絵

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フレリョの塔の後ろ側の上部に、そこで生活をしていた僧の出入口が

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祈りの前に手・口を清めるのは、神社におけるの手水舎と同じ

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聖堂の中や博物館の中は撮影禁止 大聖堂の表の壁に同じ絵が描かれている

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天井絵を写す時には身体を反らせてパチリッ

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三位一体を表す天井絵

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エスを抱くマリアを中心に多くの聖人たち

リラの僧院を2時間近くかけて見学した後は、行く前にトイレに立ち寄ったホテルのレストランに戻り昼食。脇を清流が流れていてすがすがしい。メインも鱒のステーキであった。

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行きに立ち寄ったホテルのレストランで昼食

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メインは鱒のステーキ

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脇を清流が流れている

レストランを出て緩やかに曲がる道を下って行く時に、運転手が急ブレーキ。間一髪、木陰から内側にはみ出して来た対向車をかわした。際どい間合いであった。

=つづく=