ネパール・ハイキングツアー 2日目の2 (2016.3.19)
バクタプルの街の中というか、カトマンズの街の中を歩いていると常に前後からバイクの爆音と警告音がプププッ、プププッ押し寄せてくる。只でさえ土埃が酷い街なのに、地震で出た瓦礫と共に健康を害するほどの騒音と共に迫って来る。
ティプチューントール通りを行くと5層のニャタポラ寺院に出る。正面の石段の両側に戦士、像、獅子、グリフィン、女神の石像が並んでいる。広場にある白い塔は土台にひびが入っており、倒れないようにたくさんの木のつっかえ棒が立掛けられていた。
ティプチューントール通りを行くと5層のニャタポラ寺院に出る。正面の石段の両側に戦士、像、獅子、グリフィン、女神の石像が並んでいる。広場にある白い塔は土台にひびが入っており、倒れないようにたくさんの木のつっかえ棒が立掛けられていた。
様々なお面を扱う店
5層のニャタポラ寺院の前に出た
正面の石段の両側に戦士、像、獅子、グリフィン、女神の石像が並んでいる
ニャタポラ寺院のの庇の中にはたくさんの彫刻が顔を出していた
土台にひびの入った白い塔はたくさんの木の柱のつっかえ棒で支えられていた
いくつかの建物は崩れていたが残骸もそのまま残っていた
この角から後の方に行くと55の窓を持つ王宮の最深部に入って行く
王宮には55の部屋があってそれぞれ綺麗に彫刻が施された窓になっているそうだが、撮影禁止となっていた。そこを抜けた奥に沐浴所があり、そこから引き返して出てくる。
ついで素焼きの容器を焼いている所を通りかかった。萱を燃やしてで仕上げているだけの質素な陶器である。
ついで素焼きの容器を焼いている所を通りかかった。萱を燃やしてで仕上げているだけの質素な陶器である。
王宮の最深部にある沐浴所の泉
ニャタポラ寺院の前の広場に戻って少し進む
素焼きの陶器を並べた広場に出てくる
萱をたくさん積み揚げた窯の脇を通った
窯の周りには燃え尽きた後の灰がたくさん積もっていた
10時45分に歩き始めて2時間余り、バクタプルの街の南側を流れるハヌマンテ川を渡りホテル・ヘリテージのレストランでイタリアンの昼食となった。
ホテル・ヘリテージのレストランでイタリアンの昼食
チーズをたっぷりとかけたスパゲッティがおいしかった
スワナヤンブヤートの中腹でバスを降りる
ガイドが入場料を払い終わったら丘の上に登る
その前に験担ぎ 仏像下部の壺に小銭を投げ入れることが出来れば幸運が訪れる
四方を取り巻く仏像に護られている
隣に建つ石塔も最大級
猿山と言われるだけあってたくさんの猿が棲みついている
ストゥバーの目に見つめられる
バターランプに震災復興と旅の安全を祈願して奉納する
この日の観光はここで終わり、ホテルに戻りシャワーを浴びて、18時からの「震災復興の夕べ」に備える。
今回の夕食会にはクラブツーリズム主催で、5つのツアーの参加者85名と、会社幹部、旅行企画者、添乗員などの日本側出席者と、ネパール側旅行会社、ガイド、山岳ガイドなどが参加した。
また開会前からホテルの廊下では名産品やお土産品の即売が行われており、会場は熱気に包まれた。
参加者1名あたり千円の義捐金+会場での義捐金寄付などは現地ライオンズクラブへ、それと同額の基金がクラブツーリズムから現地孤児院へと寄贈された。
また現地ガイドからの被災体験談も語られおおいに盛り上がり、真の復興は現地に足を運んでもらい昔通りの生活に戻ることとの言葉もあり、日本に帰って旅の楽しさや現地の復興状況を皆に伝え、観光客を呼び戻すきっかけとなって欲しいということを懇願された。
最後に現地舞踊が催され、辛いネパール料理を中心に皆に供された。
今回の夕食会にはクラブツーリズム主催で、5つのツアーの参加者85名と、会社幹部、旅行企画者、添乗員などの日本側出席者と、ネパール側旅行会社、ガイド、山岳ガイドなどが参加した。
また開会前からホテルの廊下では名産品やお土産品の即売が行われており、会場は熱気に包まれた。
参加者1名あたり千円の義捐金+会場での義捐金寄付などは現地ライオンズクラブへ、それと同額の基金がクラブツーリズムから現地孤児院へと寄贈された。
また現地ガイドからの被災体験談も語られおおいに盛り上がり、真の復興は現地に足を運んでもらい昔通りの生活に戻ることとの言葉もあり、日本に帰って旅の楽しさや現地の復興状況を皆に伝え、観光客を呼び戻すきっかけとなって欲しいということを懇願された。
最後に現地舞踊が催され、辛いネパール料理を中心に皆に供された。
18時からネパール復興支援の夕べが開催された
現地ガイドによる被災体験談と日本からの観光客の誘致
乾杯で夕食がスタート
ネパールの現地民俗舞踊のお披露目
楽しい舞踊が披露された
この日の夕食 ネパール料理は辛めのものが多い
=つづく=