台湾旅行2日目の2 (2015.6.17)
日月潭を出てからは少し西方面に向かい高速道に乗り台南を目指す。途中HISガイドの堀口さんから、嘉義市から台南市にかけての嘉南地方は戦前は農作に適さない湿地帯であったが、日本統治時代に日本人技師・八田與一の手により灌漑が進み、現地の方から感謝されて銅像も残っているという説明があった。
この辺りのことはウィキペディアの八田 與一と嘉南大圳(かなんたいしゅう)をご覧いただきたい。
またこれから行く赤嵌楼(せきかんろう)についても説明があった。明は末期に清に北京を追い出され台湾に渡ったがオランダに植民地にされかかった時に、オランダの砦が赤嵌楼に置かれた。そんな国難を救ったのが英雄鄭 成功(てい せいこう)で、明の皇帝から皇帝の”朱”という姓を受けたが恐れ多くて”朱”を名乗らず国姓爺と呼ばれている。そんな鄭 成功は、中国人の父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に平戸で生まれている。
僕が前回台湾に来た時には台南市には立ち寄っていない。
この辺りのことはウィキペディアの八田 與一と嘉南大圳(かなんたいしゅう)をご覧いただきたい。
またこれから行く赤嵌楼(せきかんろう)についても説明があった。明は末期に清に北京を追い出され台湾に渡ったがオランダに植民地にされかかった時に、オランダの砦が赤嵌楼に置かれた。そんな国難を救ったのが英雄鄭 成功(てい せいこう)で、明の皇帝から皇帝の”朱”という姓を受けたが恐れ多くて”朱”を名乗らず国姓爺と呼ばれている。そんな鄭 成功は、中国人の父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に平戸で生まれている。
僕が前回台湾に来た時には台南市には立ち寄っていない。
サービスエリアでトイレに立ち寄り、自販機の前で集まって飲み物を購入
灌漑により作物が取れるようになった嘉南地方を通る
赤嵌楼前の道は工事中で、通り過ぎたところでバスを降りた
18時ちょっと前赤嵌楼に到着
赤嵌楼の見取り図
オランダ統治時代に抜け道のあった井戸を覗く
赤嵌楼の城壁は赤レンガで造られ長い歴史の間に埋もれていた
赤嵌楼の建物はオランダ統治時代には砦として使われていた
赤嵌楼の建物
赤嵌楼を出てバスに戻る時に見かけたラーメン屋
赤嵌楼を出てこの日の宿泊地である高雄へと向かった。
ここでHISの堀口さんから、翌日は台湾の中央にそびえる山越えとなり、花蓮では夕方アミ族の踊りが予定されているので出来るだけ早い時間に着きたい。ついては明朝予定されている蓮池譚の龍虎塔の観光をこの日に繰り上げてライトアップを見ることにしたい。その場合今夜は既に龍虎塔は閉まっているのでくぐることはできなくなるがということで、参加者に結論をゆだねられたが28名もいるとなかなか決められない。なので僕たち8名はこれからの観光で良いと賛同したのだが、結局龍虎塔をくぐりたいという人がいて旅程表通り明朝行くことになった。
で、結局この日は旅程表通りに高雄の街に入り夕食を摂った後、ホテルに入ることになった。
ここでHISの堀口さんから、翌日は台湾の中央にそびえる山越えとなり、花蓮では夕方アミ族の踊りが予定されているので出来るだけ早い時間に着きたい。ついては明朝予定されている蓮池譚の龍虎塔の観光をこの日に繰り上げてライトアップを見ることにしたい。その場合今夜は既に龍虎塔は閉まっているのでくぐることはできなくなるがということで、参加者に結論をゆだねられたが28名もいるとなかなか決められない。なので僕たち8名はこれからの観光で良いと賛同したのだが、結局龍虎塔をくぐりたいという人がいて旅程表通り明朝行くことになった。
で、結局この日は旅程表通りに高雄の街に入り夕食を摂った後、ホテルに入ることになった。
台南の街を出たところで夕陽が沈む時間となった
19時15分、高雄の街の中に着いた ここから龍虎塔のある蓮池譚は近い
先ずは台湾啤酒(クラシック)で乾杯! すぐに酒盛りが始まる
高雄は港街なので、海鮮料理です
やっぱり品数が多くて1枚の写真ではおさまらない
メンバー8人揃ってHISの堀口さんに撮ってもらいました
21時ちょっと過ぎ、高雄駅近くの立多大飯店(ベストホテル)に到着
レセプションでチェックイン
この日も<く>と同室でした
=つづく=