コーカサス3カ国ツアー 6日目の1 (2015.5.20)
この日はモーニングコールが6時からで、朝食は7時から。連泊なので荷物を部屋に残して身軽になって8時から観光に出掛けた。
前夜は22時ごろにホテルに着いたにもかかわらず、この日は朝6時にモーニングコール
ホテルの窓からTV塔が見えていた
朝一番で出掛けたのはカスケードという公園。朝から572段の階段を上り、街の向こうにアララト山(516えm)とその左側に富士山とそっくりの形をした小アララト山(3925m)がくっきりと見えていた。
アルメニアはかつて今の10倍に面積があり、東はカスピ海から西は地中海までの広さがあった。しかし長い歴史の中でペルシャやオスマントルコなどの侵攻やソビエト連邦への併合、独立後のアゼルバイジャンとの国境紛争などで徐々にその国土を奪われていった。中でも一番の悲劇はソ連邦の時代にトルコとの紛争を収めるために、モスクワ側がアルメニア国民の意向も踏まえないで南アルメニア地区をトルコに譲ったこと。アルメニア人にとって心のよりどころだったアララト山がトルコ領になってしまったのであった。今でもアルメニアの人々は国のシンボルとして「ノアの箱舟がたどり着いたアララト山」を大切に思っているのである。
アルメニアはかつて今の10倍に面積があり、東はカスピ海から西は地中海までの広さがあった。しかし長い歴史の中でペルシャやオスマントルコなどの侵攻やソビエト連邦への併合、独立後のアゼルバイジャンとの国境紛争などで徐々にその国土を奪われていった。中でも一番の悲劇はソ連邦の時代にトルコとの紛争を収めるために、モスクワ側がアルメニア国民の意向も踏まえないで南アルメニア地区をトルコに譲ったこと。アルメニア人にとって心のよりどころだったアララト山がトルコ領になってしまったのであった。今でもアルメニアの人々は国のシンボルとして「ノアの箱舟がたどり着いたアララト山」を大切に思っているのである。
カスケード公園には季節の花が咲き誇っていた
ごめんなさい花の名前は詳しくないので。。。
勇ましいライオンの像
中には思わず微笑みたくなるこんな像も。。。
カスケードを下りた後は、アルメニアがキリスト教を国教と定めるにいたったホルビラップ修道院に行った。ここには西暦301年に時の支配者にグリゴリアスが地下牢に閉じ込められていたが、支配者の妹の夢の中でキリストが現れて救い出されたという地下牢が残っている。
グリゴリアスが13年間も深い穴の中でどうやって生きていたのかというのには2つの説がある。一つは何も飲み食いせずとも聖人ゆえ生きていたというのと、もう一つはどこかに地上とつながる穴があり誰かが毎日食事と水を差し入れていたという現実的な説である。
グリゴリアスが13年間も深い穴の中でどうやって生きていたのかというのには2つの説がある。一つは何も飲み食いせずとも聖人ゆえ生きていたというのと、もう一つはどこかに地上とつながる穴があり誰かが毎日食事と水を差し入れていたという現実的な説である。
10数mの深さのある地下牢へと降りてみた
地下牢内部の絵
=つづく=