コーカサス3カ国ツアー 3日目の1 (2015.5.17)
バクーでの一夜が明け、7時のモーニングコール前に起き出して朝食前に朝の散歩。部屋の窓から見るとカスピ海が近くに見えたのでとりあえず行ってみることに。知らない土地に行くと道を横断するにも信号通りに渡ることすら困難な場合があるが、バクーでは主要な交差点は地下鉄の駅があるわけでもないのに地下横断道があってしかもエスカレーターが設置されている所が多かった。
海岸までは1kmほどだったが、海岸に出てみると左手の丘の上に出発前にBSの旅情報番組で見たことのある3棟のフレーム(炎の)タワーズの姿が見えていた。
BSで見た時には夜の場面で、壁面に炎の映像が映し出されていてまさにフレームタワーズだったので、こんなに近くにあるならば前夜の内に外に出てみるのだったと悔やんでも後の祭りというものであった。
海岸までは1kmほどだったが、海岸に出てみると左手の丘の上に出発前にBSの旅情報番組で見たことのある3棟のフレーム(炎の)タワーズの姿が見えていた。
BSで見た時には夜の場面で、壁面に炎の映像が映し出されていてまさにフレームタワーズだったので、こんなに近くにあるならば前夜の内に外に出てみるのだったと悔やんでも後の祭りというものであった。
セントラルパークホテルの東側にビルがあり朝陽が昇るところを見れなかった
7時にホテルを出て海岸まで歩き始めた
セントラルコンサートホール
金ピカに光っているのは銀行の建物
バルバル通りを海岸まで歩いて行くのに4~5回地下横断道を潜った
海岸線の公園に2台の市内循環バスが停まっていた
右手の高台に特徴のある3棟のフレームタワーが見えていた
バルバル公園にあった子供たちの像
この日の朝食は7時半から食べれたが、散歩してホテルに戻ったのが8時だったのでそのまま最上階のレストランへ直行。
朝食はこんな感じ
2号車は9時15分にホテルを出発し先ず向かったのは「殉教者の小道」という所。何のことは無い、先ほど目にしたフレームタワーが立っている坂道の上でバスを降りた。
そして殉教者の小道を歩き、やがてドーム状のモニュメントに出る。ここはソ連末期の動乱やアルメニアとの戦闘の犠牲者を追悼する場所。さらに眼下に世界一とギネス認定されている165m×70mのアゼルバイジャン国旗が翻っている。
ちなみに以前見たことがある、板門店に翻って韓国側からも見える北朝鮮の国旗の方がタワーの骨組みからして巨大だったという印象があるのだが、ギネスで世界一と認定されているのはアゼルバイジャン国旗らしい。
そして殉教者の小道を歩き、やがてドーム状のモニュメントに出る。ここはソ連末期の動乱やアルメニアとの戦闘の犠牲者を追悼する場所。さらに眼下に世界一とギネス認定されている165m×70mのアゼルバイジャン国旗が翻っている。
ちなみに以前見たことがある、板門店に翻って韓国側からも見える北朝鮮の国旗の方がタワーの骨組みからして巨大だったという印象があるのだが、ギネスで世界一と認定されているのはアゼルバイジャン国旗らしい。
9時15分、2号車はホテルを出発
3棟のフレームタワーの近くでバスを降りる
殉教者の小道には多くの花々が咲いていた
ドーム状の追悼モニュメント 背景にバクータワー(350m)を入れてみた
この日の朝歩いて行った海岸線を上から望む
6月に開催される第1回ヨーロッパゲームのマスコット「Ceyran」
殉教者の小道からの長い階段を降りて下で待つバスへと向かう
階段を降りてバスに乗り次の観光先である旧市街へと向かう
次に向かったのは旧市街にある世界遺産のシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿と乙女の塔。
観光中見かける子供たちは日本人と一緒に写真に写りたがっていた。写った写真が欲しいわけではなく、ただ一緒に写ることが嬉しいらしい。
観光中見かける子供たちは日本人と一緒に写真に写りたがっていた。写った写真が欲しいわけではなく、ただ一緒に写ることが嬉しいらしい。
地下鉄駅近くでバスを降りて城壁へと入って行く
シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿の城壁
何とかいう土地の名士の像の前で日本人観光客を巻き込んで記念撮影
シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿
宮殿内部の礼拝室
一族の棺が安置された部屋
トルコ風のハマムも存在していた
城壁には何ヶ所かのゲートが備わっていた
古い民族をかたどった像
乙女の塔に登ってみた
乙女の塔を降りて旧市街を自由に散策
民族衣装をまとった子供たちが通り過ぎて行った
昼食は奥まった中庭で
再び乙女の塔の下へ
乙女の塔の下からバスに乗り午後は西へと移動
=つづく=