バルカン半島の旅 10日目の1 (2014.4.16)

ドナウ川とサヴァ川の合流地点であるベオグラードはヨーロッパの中でも最古の都市の一つであり、紀元前6000年には人が住んでいたと言われている。ローマ帝国ブルガリア帝国ハンガリー王国などの支配が続いたあとセルビア王によってセルビア人の支配地になったが、16世紀にオスマン帝国に征服され、ハプスブルク君主国との間で交互に支配が変わって行く。そしてオーストリア・ハンガリー帝国が滅亡した1918年にようやくセルビア人の手により統治されるようになった。その後ユーゴスラビア王国→ユーゴスラビア社会主義連邦共和国ユーゴスラビア連邦共和国→モンテネグロセルビア共和国と体制が変わる中で首都であり続けてきた。
そんな中1999年にコソヴォ紛争が激化し、NATO軍による空爆を受けた。その時には中国大使館が誤爆を受けた。2000年にミロシェヴィッチ大統領政権が倒れ、現在に至る。

長かった今回の旅も最後の観光日となった。この日はベオグラードの市内観光。ホテルの出発は9時である。

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朝食も前日と同じく韓国人の団体の後に行ったら品数が少なく、後になってようやくパンにありつけた

先ず行ったのは聖サヴァ教会。セルビア正教の中心的建物であるが、1935年に建築が始まったもののいまだに完成していない。内部もまだコンクリートむき出しのままの所が目立つ。建物の周りには木造りの土産物屋の屋台が点在していた。

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セルビア正教の中心的建物である聖サヴァ教会

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回りに木造りの土産物屋の屋台が点在している

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入口の上に描かれたキリストの絵

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内部入口付近にある十字架 奥はまだ工事中の所が多い

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我々がバスを降りて観光している間、運転手のペコちゃんは鳩に餌を上げていた

聖サヴァ教会の観光を終えバスが出発した後で、車内の人数が足りないのに気付いた時には教会の周りを半周していた。添乗員がバスを降り探しまわること5分ほど、ようやく3人を探して戻って来て一件落着。長い旅程の中で、最終日になってみんなちょっと気が緩んできたか?
気を取り直して旧市街へと行き、バスを降りてクネズ・ミハイロ通りからセルビア正教大聖堂を経て、カレメグダン公園の奥にある要塞までを1時間半ほど掛けて歩いた。

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学生公園でバスを降りて歩き始めた 通りを共和国広場に向かってトロリーバスが通って行った

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北京飯店のある路地の途中に両替所があった この日のレートは€1=115.3ディナール

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クネズ・ミハイロ通りの繁華街

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クネズ・ミハイロ通りからセルビア正教大聖堂方向に左折する

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カラフルなパラソルがたくさん飾られた所を通った

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ズナーク・ピタニャというガイドブックにも載っているレストラン [?]が目印

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セルビア正教大聖堂前にある教会


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3人の乙女の像があるフランス大使館

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カレメグダン公園にはチェスのテーブルが並んでいて、その前で議論しているおじさんがいた

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超インフレ時代に発行されたお札も土産物として売られていた 右上・5000億ディナール

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カレメグダン公園の平和の像から奥は要塞となっている

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要塞の入口の門 右手に時計台がある

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門を入った所には大砲などが並べられていた

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要塞の一番奥には勝者の記念碑が建っていて、その先にドナウ川とサヴァ川が合流している

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ドナウ川とサヴァ川が合流地点 正確にはこの写真より右にドナウ川の本流が流れている

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要塞の北角にあるジンダン門の物見塔

=つづく=