バルカン半島の旅 8日目の1 (2014.4.14)

この日の朝は7時半のモーニングコールで、9時ホテル出発と遅め。時間があったのでホテルを出て1時間ほど散歩したが、ちょうど出勤時間にあたったのかホテル横の大通りの中央を路面電車がひっきりなしに行き交っていた。

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朝食もそろそろ飽きて来た? 宗教的な配慮からソーセージは豚肉ではないので食べごたえはイマイチ

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ホテルの隣にはMACがあった

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通勤時間帯は車の数も多かった

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路面電車もひっきりなしに行き交っていた 1台1台色がバラバラで赤に白の水玉も目立っていた

9時にホテルを出て、サラエヴォの市内観光で最初に向かったのは1984年に開かれた冬季オリンピックのメイン会場。その前をバスに乗ったまま回り、国立図書館前でバスを降りた。

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1984年の冬季オリンピックのメイン会場の前を通ったが、周囲には集合住宅が目立った

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モスタルと同じく紛争で犠牲になった人々のお墓の数が半端ではなかった

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国立図書館の脇でバスを降りた 赤白のレンガの部分と中央のアーチの部分と年代が異なる

サラエヴォは第1次世界大戦のきっかけとなった街。1914年6月28日、オーストリア・ハプスベルク家の皇太子夫妻が視察に訪れていたサラエヴォで射殺された。この日はセビリア人にとって因縁深い日だったのだが、そんな時に訪れた皇太子のパレードに人々は動員され、それに怒ったセルビア人の青年に射殺されたとのこと。先ずはその暗殺現場へ行き、現在は博物館になっていてパネル展示されているのを見ながら説明を受けた。
次いで当時皇太子夫妻の宿泊先だったホテル・ヨーロッパ(最近リニューアルされたばかり)の横を通り旧市街へ。サラエヴォ大聖堂やガジ・フスレヴ・ベイ・ジャーミヤなどを見学し、バシチャルシャ広場でいったん解散し自由行動となった。

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イスラム教のモスクとミナレット(ジャミーヤ)

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皇太子の暗殺現場 右手から来た馬車がこの角で右折しようと減速したところを襲撃された

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事件当時の写真と暗殺現場を示す石碑

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リニューアルされたホテル・ヨーロッパ 事件の日皇太子はこのホテルに戻ろうとしていた

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ホテル前にはローマ帝国時代の遺跡がある

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サラエヴォ大聖堂

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旧市街には多くの観光客が訪れていた

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大聖堂からバシチャルシャ広場に向かう通り

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ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャーミヤ

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ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャーミヤの時計はお祈りのための時刻を示す

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バシチャルシャ広場

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バシチャルシャ広場に隣接するブルサ・ベジスタンは絹取引所 現在は歴史博物館

45分ほど自由時間があって、11時30分にバシチャルシャ広場に再集合であった。街の中を歩き回って多少足の方も疲れたのでちょっと早めに戻りバシチャルシャ広場の角のお店の前のベンチで腰掛けていたら、中からおかみさんらしき人が出て来てベンチを跳ね上げて座れないようにしてしまった。
全員揃ったところで最初にバスを降りた国立図書館前まで歩き、橋のたもとにあるレストランで昼食となった。

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広場角の店先のベンチに座り足を休めていたら、おかみさんにベンチを仕舞われてしまった

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11時30分にバシチャルシャ広場の水飲み場の前に再集合

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国立図書館前の橋の右側にある小さなレストランで昼食となった

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昼食のメインはチェバプチチという肉料理 デザートが甘く街中で買ったコーラで流し込んだ

=つづく=