バルカン半島の旅 7日目の2 (2014.4.13)
モスタルとはボスニア語で「橋の守り人」という意味。1566年オスマントルコ支配の頃スターリ・モストという石の橋が架けられた。アーチ状の橋の長さは28mで高さが20m。当時の石組の技術ではこれ以上長くなると橋が落ちてしまうと言われていた。
1992年ボスニア・ヘルツェゴヴイナがユーゴスラビアからの独立を宣言すると、ユーゴスラビア人民軍はモスタルを爆撃し街を支配下においた。クロアチア防衛評議会はユーゴスラビア人民軍をモスタルから徐々に追い出しを図ると、ユーゴスラビア人民軍側は空爆を強化し歴史的な建造物を次々に破壊していった。
一方クロアチア民主同盟のボスニア・ヘルツェゴヴィナ政党はヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の存在を宣言し、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国からの分離を宣言する。これによりモスタルの西側をクロアチア勢力が、東側をボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の軍が支配するようになり、1993年11月9日クロアチア勢力がスターリ・モストを破壊した。
1995年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が終結し、欧州連合の監視の下モスタルの歴史的建造物が次々と復元されて行く中、スターリ・モストも2004年に復元された。
1992年ボスニア・ヘルツェゴヴイナがユーゴスラビアからの独立を宣言すると、ユーゴスラビア人民軍はモスタルを爆撃し街を支配下においた。クロアチア防衛評議会はユーゴスラビア人民軍をモスタルから徐々に追い出しを図ると、ユーゴスラビア人民軍側は空爆を強化し歴史的な建造物を次々に破壊していった。
一方クロアチア民主同盟のボスニア・ヘルツェゴヴィナ政党はヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の存在を宣言し、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国からの分離を宣言する。これによりモスタルの西側をクロアチア勢力が、東側をボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の軍が支配するようになり、1993年11月9日クロアチア勢力がスターリ・モストを破壊した。
1995年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が終結し、欧州連合の監視の下モスタルの歴史的建造物が次々と復元されて行く中、スターリ・モストも2004年に復元された。
モスタルでは昼食の後バスで旧市街に移動、まず最初に「トルコ人の家」という所に行った。家の中はオスマントルコが支配していた17世紀頃の伝統家屋が博物館となっている。ベッドではなく日本的な床に直接敷く布団や嫁入り道具を入れておく箱などが展示されている。嫁入り道具の箱は、僕が幼い頃家の物置にあった母親の長持と形状が似ているなと思えた。トルコ人と日本シルクロードの西と東でどこか繋がっているのかも知れない。
玄関を上がった所に主人と妻の蝋人形が置いてあった
寝室には床に直接敷いて収納可能な布団があった
「ドイツ人の家」を出て次はコスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤに向かった。ここはモスタル一の観光ポイント、スターリ・モストの撮影ポイント。
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ前にある市場
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤの奥がスターリ・モストの撮影ポイント
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤの内部
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ内部ドーム部分
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤを出てから今度はスターリ・モストへと向かった。スターリ・モストは石の橋で、さらに橋の表面に並べられている丸い石は滑り易い。日本では太鼓橋となるのだろうが、スターリ・モストは両岸から坂になって中央が頂点になっている。坂の勾配は横から見る以上に傾斜がきつく、滑り止めの桟が入っていなければ登ることも至難である。世界中からの多くの観光客で賑わっている中、お金を集めて高さ20mの橋の上からダイブして見せるプロがいる。下を流れる川の水深は十分あるのだが、雪解け水で水温が低いので素人が飛び込んだら命の危険すらある。1日に4~5回、一回あたりのチップが€40~50で一日3~4万円の稼ぎか???
橋の袂にある土産物屋
世界中の観光客で橋の上は大渋滞
橋の上から旧市街の方を臨む 右側に建つのがコスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ
橋を渡った所に DON'T FORGET '93 の石碑がある
橋の頂部(高さ20m)からダイビング シャッタータイミングはピッタシ!
橋を渡りレストランやお土産物屋が並ぶ道をバスの駐車場へと向かう
銃弾に目茶苦茶に晒された廃屋
モスタルを離れこの日の宿泊地サラエヴォまで120km。途中トイレ休憩したところのレストランで水車が回っていて、それで羊の丸焼きをしていたが、この水車はダミーで実際はモータが付いていた。
サラエヴォの到着は16時半過ぎ。ラドンプラザホテル最上階が回転していて市内を一望できる展望レストランになっていて、夕食は19時から。時間があったので近くのスーパーマーケットまでショッピングに出掛けた。
サラエヴォの到着は16時半過ぎ。ラドンプラザホテル最上階が回転していて市内を一望できる展望レストランになっていて、夕食は19時から。時間があったので近くのスーパーマーケットまでショッピングに出掛けた。
水車式の羊の丸焼き 実は下にあるモータでの駆動だった
ホテルのレセプションでチェックイン SHさんWiFiのパスワードを聞いてくれた?
ツーベッドルームでした
展望レストランでの夕食はコース料理でした
=つづく=