バルカン半島の旅 5日目の2 (2014.4.11)
世界遺産の街コトルはアドリア海に面したボカ・コトルスと呼ばれる複雑に入り組んだ湾の最深部にある。前は複雑に入り組んだ海、後は険しい山に囲まれた天然の要塞都市として栄えた。現在では湾の最深部で穏やかな海に大型のクルーズ船が繋留され、多くの観光客が訪れている。
城塞都市コトルの西側にある海の門から街に入った
入口を入った正面に時計台があって観光客の集合場所に使われている
ここで現地ガイドから日本語の案内マップが配布された
観光はこの時計台からスタートし、城壁内を反時計方向に回った
聖トリプン大聖堂・1166年
カランパナ井戸・17世紀
聖ニコラス教会前の広場 右手は聖ルーカス教会
左・聖ニコラス教会・1908年 右・聖ルーカス教会・1195年
街の北側・川の門から外に出たところを流れているシュクラダ川
川の門から街の中に戻り、薬局紋章のあるゲートから山の上の要塞まで登ることが出来る
一番上に旗が翻っている聖ジョバンニ要塞 左下に見える聖母教会・1518年
街を一巡し、さらに30分の自由行動の後、コトルを離れる
コトルを出て、入り組んだ入り江沿いの道を進む。右手の山が険しく抜け道もないまま約1時間左手に海を見ながら進み、ようやく入江の入口部にアドリア海が見えて来た。コトルの街からここまでフェリーも出ているらしいが、船がいっぱいにならないと出航しないので時間が読めないとのこと。
コトルの港には中型のクルーズ船が接岸していた
入り江沿いの道を進んで行く途中、コトルの奥の方に白い山も見えていた
ようやく入江の入口近くに戻った時、コトルの方から豪華クルーズ船が出航していく所だった
アドリア海が見えてから少し山を登り国境近くのスタンド併設のマーケットでトイレ休憩。そして出国検査所に着いた時にちょうど職員の交代時間とぶつかり、30分以上は何もしないまま動けなくなった。この時バスの右側のレーンを見ていたら、自家用車の中の人と荷物を全て車から出され、座席や車の下を警察犬が嗅ぎまわったりしている光景が見れ退屈はしなかった。結局何事もなく出国が許されたようだったが。
モンテネグロの滞在時間は、ちょうど12時だった入国から7時間と少し。次のクロアチアへとバスは動き出した。
ちなみにモンテネグロには独自の通貨はなくユーロがそのまま使われているので、入出国にあたって両替の必要はなかった。
モンテネグロの滞在時間は、ちょうど12時だった入国から7時間と少し。次のクロアチアへとバスは動き出した。
ちなみにモンテネグロには独自の通貨はなくユーロがそのまま使われているので、入出国にあたって両替の必要はなかった。
国境近くのスタンド脇のマーケットでトイレ休憩
== クロアチア ==
僕の中でクロアチアと言って一番印象に残っているのは、サッカーワールドカップで日本が初めて出場権を得た1998年の一次リーグ初戦の相手である。そこで初めてクロアチアという国と赤白のチェッカーフラッグを目にした。次にクロアチアを意識したのは、毎年4月に池袋で開催されているダイビングフェアーで、僕がマダガスカルに当たった次の年のフェアーにおいてクロアチアという国が初めて出展していたこと。クロアチアがアドリア海に面していてダイビングスポットや風光明媚な観光資源を持った国であるというのを初めて知った。
今回の旅行も当初はクロアチアとスロベニアを回るツアーへの参加を考えていたのだったが、旅行会社から頻繁に届くパンフレットの中に今回の7カ国のツアーのものがあって、それに心動かされて参加を決めたのであった。しかし今回のツアーではクロアチアではドブロヴニクしか行かないので、またいずれ別の風光明媚な所も回りたいと考えている。
今回の旅行も当初はクロアチアとスロベニアを回るツアーへの参加を考えていたのだったが、旅行会社から頻繁に届くパンフレットの中に今回の7カ国のツアーのものがあって、それに心動かされて参加を決めたのであった。しかし今回のツアーではクロアチアではドブロヴニクしか行かないので、またいずれ別の風光明媚な所も回りたいと考えている。
この日はクロアチアに入ったのは19時半。そこからドブロヴニクのホテルまで45分。到着後夕食を食べている間にバッゲージが部屋に届く手筈。今回の旅行中最もデラックスなホテルで、夕食のビュッフェの品数は豊富。でも豊富だからと言って、1皿に冷たいものも熱いものもデザートも一色端に盛り込むのは??? ここは優雅にまずはスープから。。。
国境越えの間に日は沈んでしまったが、まだ西の空には。。。
ドブロヴニクの観光は翌日
宿舎のドブロヴニク・パレスに到着
レセプションで添乗員がチェックインしている間に
ツアー参加者は豪華な夕食を。。。
この日はツーベッドルームで デスクもたっぷりした広さがありました
=つづく=