バルカン半島の旅 5日目の1 (2014.4.11)

5日目の朝は6時半モーニングコールで8時の出発。夜中に雷の音が聞こえていたが、出発時間になっても雨がしとしとと降っていた。
出発して1時間ほどでいつものようにガソリンスタンドの隣でトイレ休憩。この頃には雨も上がり、さらに1時間半後に川沿いの城壁近くで写真タイムを取った時には青空も広がってきた。

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ホテルの朝食 品数が豊富とは言い難い

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ティラナの街のロータリーで見かけた双頭鷲のモニュメントも雨に打たれていた

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それでも10時頃には青空が広がってきた

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国境に近付き川を渡った所で写真タイム

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川岸の高台に城塞がたたずんでいた

国境では対応によって時間がかかるかもしれないということで、近付いたところで最後のトイレ休憩。この時点で500レク程度(日本円で500円位)の金が残っていたので土産物屋を覗いてみたがあまり欲しいものは見つからなかった。隣のカウンターでエスプレッソを飲んだが50レクしか減らない。再び土産物屋の前を通ると、最初の飛行機で隣の席に座ったGさんが「誰か50レク持っていない?」と言っているのが耳に入り、出してあげる。これで残ったのは400レクだが、店内のものはユーロ価格が表示されていてこれといったものがパッとひらめかない。先ほど50レクを出した時に目ざとく手の中に残金があるのを目にした店員が、それをひったくるかのように代わりにアルバニア国旗の双頭の鷲のマークが入った布製の財布(€2の表示)を渡してきた。でも後で冷静になって考えるとこんなもの日本で100円ショップで買えるようなものだよな!
ひったくりバーならぬ、ひったくりスーベニアショップをあとにし、5分ほどで国境に着き、いつものようにパスポートをまとめ出国検査完了。

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国境近くのスタンド併設のレストランでエスプレッソを飲んだ

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アルバニアでの旅程のまとめ


 == モンテネグロ == 

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1980年にカリスマ的な大統領だったチトーがなくなり、1990年代になって民主化の波が押し寄せる中、旧ユーゴスラビアからまずスロベニアがEU寄りの政策を取って抜け、さらにマケドニアボスニア・ヘルツゴビナ、クロアチアの順に独立を果たしていった。2000年にミロシェビッチ大統領が失脚すると、ユーゴスラビアセルビア・モンテネグロと名前を変えたのだが、2006年にモンテネグロが独立し旧ユーゴスラビアは完全に消滅した。ちなみに最初に独立したスロベニアは2004年にEUに加盟し、他の国々もEUへの加盟を望んでいる。

モンテネグロに入ったのが12時ちょうど。モンテネグロとは黒い山という意味。鉱物資源が大きな輸出品とか。国境からアドリア海に向かって降りて行く時に山を削っているところを何箇所も通り過ぎた。

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国境からゆるやかに坂を下ってアドリア海が近付いて来た

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道々鉱物資源を求めて山を削っている所が何箇所もあった

山を下ること45分、バールという港町で昼食となった。

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バールの港にはクルーザー船が多く停まっていた

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レストランへと向かう

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レストランの反対側に目をやると戦艦も何隻か繋留されていた

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昼食 メインはニェゴシュステーキというものらしい

昼食後はこの日のメインとなる観光地コトルにバスは向かって海沿いの道をバスは進んで行っき、途中でセント・ステファン島で写真タイムとなった。

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海沿いの道を北上する

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途中セント・ステファン島で写真タイム

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15時半コトルに到着

=つづく=