バルカン半島の旅 2日目の1 (2014.4.8)
前日は23時過ぎにホテルに到着し、シャワーを浴び、facebookに写真をアップしてから寝たのは1時を回っていた。それでも2日目の朝は時差の関係で、6時半のモーニングコールよりも早く目が覚め、窓の外が明るくなっていたのでホテルの周りを散歩に出た。6時半に陽が昇って来たのを確認し、7時からの朝食に合わせホテルに戻る。
ホテル近くのロータリーで朝陽が昇ってきたのは6:34だった
ホテルでの朝食 大きなパプリカを炒めたものの中には辛いものもあった
ホテルを8時に出発し先ず向かったのは、ホテルから10kmほどのところにあるグラチャニッツァ修道院。
13世紀頃のセルビア正教の修道院で当時のオリジナルのフラスコ画も多く残っている。一部はオスマントルコが侵攻してきて破壊され、撤退後の17世紀頃に修復されたものである。セルビア正教の支配だった頃の王様により建立された建物で、中のフラスコ画にはイエスの肖像と共に聖母マリアの死の場面、教会の年中行事などが描かれている。700年も前のものでも色鮮やかに残っている。
13世紀頃のセルビア正教の修道院で当時のオリジナルのフラスコ画も多く残っている。一部はオスマントルコが侵攻してきて破壊され、撤退後の17世紀頃に修復されたものである。セルビア正教の支配だった頃の王様により建立された建物で、中のフラスコ画にはイエスの肖像と共に聖母マリアの死の場面、教会の年中行事などが描かれている。700年も前のものでも色鮮やかに残っている。
建物の中は写真撮影禁止なので、代わりにパンフレットをコピー
大聖堂の裏側
道端で果物などを商う屋台が出ていた
ペーチでレストランに入り昼食
昼食 オプションの飲み物はスプライトを注文 €1.5
レコガ谷の清流
建物正面にフラスコ画の一部が残っていたが、建物内部の方がもっと状態は良い
ペーチ修道院を出て今度は15km離れたデチャニ修道院に向かう。この一帯はロシア-オスマントルコ戦争後の1878年のベルリン会議でイタリアの支配域となった所。その後のユーゴスラビアの時代を経て、2000年代のコソヴォ紛争以降もイタリアの監視下に置かれているため軍が駐在している。
ここの修道院の敷地は広く尼僧が農産物などを栽培する敷地と男性僧が管理している修道院などとに分かれているのだが、14世紀のセルビア王ステファン・ウロシュ3世によって建てられたデチャニ修道院を訪れ、その頃からのオリジナルのフラスコ画を鑑賞した。
ここの修道院の敷地は広く尼僧が農産物などを栽培する敷地と男性僧が管理している修道院などとに分かれているのだが、14世紀のセルビア王ステファン・ウロシュ3世によって建てられたデチャニ修道院を訪れ、その頃からのオリジナルのフラスコ画を鑑賞した。
大聖堂の入口の装飾
大聖堂の裏手には山が連なる
=つづく=