スリランカ・インド旅行 3日目の1(2014.1.28)
3日目はスリランカ観光の最大の目玉シギリアロックツアー。この日はシギリアビレッジに連泊だが、朝の涼しい内に登ってしまおうと6時モーニングコールで6時半から朝食。7時半の出発である。
シギリアロックは高さ200mほどだが、ところどころ険しい階段を2000段も昇る。
5世紀後半父王を殺し王位に就いた狂気の王カーシャパは、異母弟からの復讐におびえこの岩山の上に王宮を築いた。しかしここが使われたのはわずか11年。結局弟との戦いに敗れ自ら命を絶った。
シギリアロックは高さ200mほどだが、ところどころ険しい階段を2000段も昇る。
5世紀後半父王を殺し王位に就いた狂気の王カーシャパは、異母弟からの復讐におびえこの岩山の上に王宮を築いた。しかしここが使われたのはわずか11年。結局弟との戦いに敗れ自ら命を絶った。
シギリアビレッジ レセプションからコテージに行く道、泊った185室はここを右へ
レセプション棟の裏のプールからシギリアロックが見えている
ビュッフェスタイルの朝食
レストランの脇では敷地内にいる鴨が近寄って来ていた
シギリアロックの敷地に入ると多くの現地人が近くに寄ってくる。階段を登るときに手を差し出したり後ろから押したりするのはチップ目的。足腰が衰えた年配の方ならば手助けも必要だろうが、それでなくても狭い通路に彼らの存在は邪魔である。
それでも僕らのガイドは参加者に高齢な方が多いので、入って右手の緩やかに道をまわってくれた。コブラ岩だの住居跡だのを説明しながら50分ほどで、中腹の岩肌に書かれたシギリアレディのフラスコ画の残っている地点に着いた。(観光案内書では20分と書いてあったが?)
それでも僕らのガイドは参加者に高齢な方が多いので、入って右手の緩やかに道をまわってくれた。コブラ岩だの住居跡だのを説明しながら50分ほどで、中腹の岩肌に書かれたシギリアレディのフラスコ画の残っている地点に着いた。(観光案内書では20分と書いてあったが?)
これからシギリアロックへ登っていく
今は鉄製の階段が岩の外に取り付けられているが、かつては岩肌を削って通路が作られていた
ガイドの説明を聞きながら登って行く 右後ろの人はチップ目当ての青年に身体を支えられている
王の椅子
下から上がって来た道の合流地点 中央の扉奥にシギリアレディが描かれたフラスコ画の壁がある
シギリアレディで残っているのは13名。全てを掲載する。
シギリアレディ 一番右側に書かれ残っているレディ
シギリアレディ 3,2…再掲
シギリアレディ 5,4
シギリアレディ 7,6
シギリアレディ 9,8
シギリアレディ 10
シギリアレディ 12,11
シギリアレディ 13人目=一番左の女性
シギリアレディの横穴を出て鏡の回廊(かつては大理石でピカピカの壁だったが今は落書きで削られてしまった)をさらに進むとライオンテラスに出る。現在は両足の先しか残っていないがかつてはここに大きなライオンがあり、王宮へはその口の中を通って行ったという。
ここから頂上までは現在では鉄製の階段が続いているのだが、訪れる人の汗でその手すりは真っ赤に錆びていて、素手で触ると手のひらが真っ赤になってしまう。上部の方はピカピカのステンレスの手すりに変わっていた。
ここから頂上までは現在では鉄製の階段が続いているのだが、訪れる人の汗でその手すりは真っ赤に錆びていて、素手で触ると手のひらが真っ赤になってしまう。上部の方はピカピカのステンレスの手すりに変わっていた。
ライオンテラス かつてはライオンの口を抜けて上に上がって行ったが今は足しか残っていない
岩山の上に続くこの階段を登って行くと王宮跡に出る
ちょっと下を覗いて見た 高所恐怖症の人はけして下を見ないように
頂上にある王宮跡は意外に広く見晴らしも良かった。王が使ったプール、全体の水源のプール、庭園やナイトクラブなど孤独な王を慰める施設は整っていたと思われる。
王宮跡に到着
一番高いところから遠くの景色を眺める
王様のプール(右)と飲み水のプール 手前は庭園
降りて行く途中、猿が僕らを威嚇していた
=つづく=