南米旅行記・10日目ラ・ライヤ峠を超えチチカカ湖へ (2013.4.15)
ウルバンバは標高2800mと富士山の8合目程度で、若干空気は薄いものの高山病となる人はほとんどいない。とはいえ通常よりも酸素が薄い分、激しい運動は避け腹式の深呼吸を心がけなければならない。旅行案内などにも、1.腹六分目と水分補給、2.十分な睡眠、3.寒さ大敵、4.激しい運度は避ける、5.喫煙・飲酒を控える、6.腹式呼吸を意識する、などが挙げられている。
この日はいよいよウルバンバから標高3360mのクスコに出て、さらに標高4335mのラ・ライヤ峠を超え3800mのチチカカ湖畔のホテルまで移動する日である。クスコからは車内を密閉して酸素濃度を1000m分ほど高くできる、酸素供給バスというものに乗り換えての移動となり、さらに高山病専門の若い美人医師も同乗してきた。旅行の案内では、前々日クスコに着いて以降参加者に酸素ボンベ(低濃度の簡易的なもの)を1本ずつ配布されるということになっていたが、これまでの行程では使う必要もなくバスに積み込んであっただけだったのだが、この日からは各自に1本ずつ支給された。
この日はいよいよウルバンバから標高3360mのクスコに出て、さらに標高4335mのラ・ライヤ峠を超え3800mのチチカカ湖畔のホテルまで移動する日である。クスコからは車内を密閉して酸素濃度を1000m分ほど高くできる、酸素供給バスというものに乗り換えての移動となり、さらに高山病専門の若い美人医師も同乗してきた。旅行の案内では、前々日クスコに着いて以降参加者に酸素ボンベ(低濃度の簡易的なもの)を1本ずつ配布されるということになっていたが、これまでの行程では使う必要もなくバスに積み込んであっただけだったのだが、この日からは各自に1本ずつ支給された。
ウルバンバのホテルで朝食
ウルバンバで泊ったのはホテル・マベイ・ウルバンバ
ウルバンバの街 ここからクスコまで高度を上げて行く
クスコで酸素供給バスに乗り換え
参加者に酸素ボンベを1本ずつ配布
サンパブロ近くのパンは甘くておいしいと添乗員さんが調達してきた
牛や羊、リャマなどを放牧している
とにかくこの日はゆっくり行動することを心がけていたのだが、サンパブロの土産物屋さんでトイレ休憩した時についつい敷地内にある見晴台に上って見た。階段を1歩1歩ゆっくりと上ってみたが、さほどの苦労もなく7mほどの見晴台の上からの眺めを満喫できた。
サンパブロの土産物屋さんでトイレ休憩 見晴台に上って見る
次に行ったレストランでは、高山病への心がけの一つである「腹六分目」をついうっかり失念し、生野菜→スープ→メイン→デザートとたっぷりと食べてしまった。それでも軽い頭痛はあるものの体調は悪くはなかった。
サンパブロのレストランでの昼食
ラ・ライヤ峠付近で年配のご婦人が呼吸がつらいということでバスに常備の高圧酸素ボンベをセットしての治療も行なわれた。その治療が功をなしたかどうか、その人は夕方までには通常通りに回復して行った。僕自身は富士山よりも標高が高い地点というのは初めての経験ではあったが、腹式呼吸とゆっくりした動きを心がけていた。
ラ・ライヤ峠(標高4335m) 富士山頂よりも遥かに上にある
左手の白い頂がチンボヤ山(標高5489m)
前方はクラナマ山(標高5443m)
ラ・ライヤ峠にはいくつかの土産物屋さんが商品を並べていた
ラ・ライヤ峠を出発すると前方からPERURAILの列車が近付いて来た
ラ・ライヤ峠からプーノに向かう車窓 プカラ近辺
ラ・ライヤ峠からプーノに向かう車窓 空港のあるフリアカ市内
この日はチチカカ湖畔のプーノという街のホテルでの宿泊であるが、その前にシュスタニ遺跡(標高4000m)という所に立ち寄った。チュルパとよばれる王族の墳墓が高台にあって、そこまで往復で2kmほどを歩いたのだが、あいにく雨が降り始めたのと日暮れ時であったのとで肌寒く感じた。僕もちょうどこの辺りから下腹に異変を感じ始めた。
フリアカからプーノに行く途中でシュスタニ遺跡に立ち寄る
シュスタニ遺跡では冷たい雨に打たれながら観光
=つづく=