[24日目] 8:熊谷~7:鴻巣~6:桶川 (2012.11.19)③

久下神社を出て歩いて行くと久下の長土手という荒川スーパー堤防に出る。台風やゲリラ豪雨が起きるとニュースでも取り上げられる、話題のスーパー堤防は河川敷を幅広く取ってあり構造もなだらかな二段勾配になっている。話題になるのは建設費用がかかるため一年間で整備できる区間がそう長くないので、河口まで完成するのにさらに何十年もかかると予測されていることによるのだが、この久下の辺りでは立派に整備が住んでいる。
かつて久下新町は舟運と養蚕で栄えていたところでお屋敷がたくさん並んでいて屋敷森という地名もついていたほどであるが、今はその面影はない。
晴れていれば秩父の山々や富士山などを見ながらのんびりと歩けたのだろうが、この日はあいにくの曇り空で肌寒かった。
余談だが、熊谷宿から鴻巣宿の間JR高崎線では熊谷駅、行田駅吹上駅鴻巣駅の順に並んでいて旧中山道もほぼそれに沿っているのだが、今回の小間切れ六十九次では行田市を通過していない。というのも行田市と接しているスーパー堤防の上は熊谷市久下地区で、堤防を下りた所は鴻巣市榎戸地区(2005年までは吹上町だった)になってしまうからである。そのためこのブログの別のコーナーのマンホールの蓋で、行田市のものをコレクションに加えることができなかったのは残念であった。

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久下新川村の案内板 100年前まで舟運と養蚕で栄えていた

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久下の長土手へと上る

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坂の途中に久下堤の碑がある 「後の世までも 修堤記録 輪型の碑」

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土手の内側に屋敷森という集落があった 「屋敷森のみが 残りて 昔を語る」などの句

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荒川左岸72.0kmの標識と、海まで72.0kmの立て札(11:25)

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晴れていれば秩父の山や富士山も見えて穏やかな日とだったろうが 曇って肌寒い日となった

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決壊の碑 「洪水の 怖さ伝える 決壊碑」

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荒川スーパー堤防(久下地区)の案内板

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一里塚を探していたのだが見つからず八幡様の祠があった「元は新川 今は大曲の 八幡さま」

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荒川左岸70.4kmの標識 中山道は94m先で土手下へ(11:50)

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土手を降りるとここにも権八地蔵があった

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権八地蔵のいわれ

スーパー堤防から離れ吹上方面に向かう途中、榎戸堰公園に公衆トイレがありようやく一息つくことができた。

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榎戸堰公園 鴻巣市の故郷散歩道

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榎戸堰公園の碑の奥に見えるのが元荒川最初の堰

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公園内にはあずまやなどもある

熊谷駅近くの第6中山道踏切を超えてから旧中山道はJR高崎線の南側を歩いて来たが、吹上駅の西側400mにある跨線橋を超えてからは線路の南側を行くことになる。

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JR高崎線吹上駅の西側400mの地点に架かる跨線橋を渡る

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跨線橋を降りた所に中山道間の宿という道標と吹上間の宿の案内板がある

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吹上間の宿の案内板

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吹上神社を左手に見て進む

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吹上本町の信号を右に曲がる(12:30)

~ つづく ~