[22日目] 13:高崎~12:倉賀野~11:新町~10:本庄 (2012.10.9)�

新町宿を過ぎると国道17号線を歩く。左側には陸上自衛隊の駐屯地があるが道路から中を窺い知ることはできない。そこを過ぎると神流川古戦場跡の碑がある。天正10年(1587年)本能寺で織田信長が討たれたのを知った関東管領滝川一益が京に上ろうとすると、北条氏が神流川に5万の兵を進めて来たので瀧川氏との間でこの地で戦が起こったというもの。
古戦場跡の碑を過ぎると群馬県から埼玉県に入る。昔風に言うと上野国(上州)から武蔵国武州)へと入るということになる。京を出て近江、美濃、木曽、信濃、上野を通って武蔵へとやってきた。

イメージ 1
国道17号線を東に向かい、陸上自衛隊の新町駐屯地を過ぎた左に神流川古戦場跡の碑がある

イメージ 2イメージ 3
神流川合戦の説明板                            神流川古戦場跡の碑

イメージ 4
群馬県から埼玉県上里町へと入って行く 日本橋まであと94km(14:30)

イメージ 5
反対側を振り向けば、当然群馬県高崎市の標識がある

埼玉県に入って神流川橋を渡ったが、歩道部分は狭くただでさえ人間がすれ違う幅しかないのに、自転車がやって来た時には立ち止まって橋の欄干にもたれかかるようにしなければすれ違うこともままならない。
橋を渡って最初の勅使河原北の信号から旧街道は左に逸れるのだが、道標もなく判りにくかったので通りかかった老人に訊ねたら、親切にその先奥まった所にある一里塚跡の碑も教えてくれた。

イメージ 6
神流川を渡る国道17号線の神流川橋 歩行者と自転車がすれ違うのも困難

イメージ 7
神流川は川幅の割に橋が長いと感じた

イメージ 8
橋を渡り切った所にも神流川古戦場の説明板があった

イメージ 9イメージ 10
勅使河原北の信号から左手の旧街道に入った所に一里塚跡の碑    少し引っ込んでいて判りにくい

イメージ 11
庚申塔馬頭観音などの石仏群の前を通った

イメージ 12
上里町教育委員会の名が入った中山道の説明板

イメージ 13
愛宕神社畑時能首塚奮蹟などがまとまってあった

イメージ 14
金窪の郷・八幡神社

イメージ 15
庚申塔などの石仏群と薬師堂

旧街道を来ると神保原北という交差点で再び国道17号線に交わるが、旧街道は国道を突っ切って真っ直ぐ進み、次の交差点で左折する。

イメージ 16
神保原(北)交差点 旧街道は国道17号線を渡ってさらに直進する

イメージ 17イメージ 18
上里町神保原県道392号線(旧中山道)沿いにある庚申塔         馬頭観音泪橋跡の碑

イメージ 19
浅間山古墳の鳥居

イメージ 20
浅間山古墳の説明板(15:45)

~ つづく ~