[22日目] 13:高崎~12:倉賀野~11:新町~10:本庄 (2012.10.9)④
倉賀野宿外れの閻魔堂を過ぎ県道121号線を東へと進むとJR高崎線を超え国道17号線にぶつかる。国道は拡幅する際に道路の位置も変わってしまっていて、旧国道だった県道の方を岩鼻に向かって直進する。岩鼻町交差点の手前に蕎麦処があったので、昼食休憩にした。
国道17号線との交差点を岩鼻方面へと直進する
岩鼻町交差点の手前にある蕎麦処・梅田屋に寄り昼食
天せいろ蕎麦を食べた(12:15)
中山道ができた当時は本庄宿と倉賀野宿の間は烏川北岸の玉村という所を通っていたが、慶安4年(1651年)から承応2年(1653年)にかけて烏川南岸を通るように変更され新町宿ができた。新町宿は中山道の中で最も遅くできた宿場である。
烏川はかつて柳瀬川と呼ばれていて、現在の高崎市岩鼻地区と藤岡市中島地区の間に渡し船があった。今回は旧国道の柳瀬橋を渡り、かつて渡し場のあった辺りまで高崎伊勢崎自転車道の一部を歩くコースを通った。というのもガイドマップには中島地区の渡し場付近の集落の中に旧中山道の標識があると書かれていたからである。そこを過ぎた後また自転車道に戻って歩いたのだが、自動車が通らず見通しも良いので気持ち良く歩けるが、当然旧街道の面影はない。関越自動車道をくぐって伊勢嶋神社を見つけて、ようやく中山道を歩いていることを実感した。
烏川はかつて柳瀬川と呼ばれていて、現在の高崎市岩鼻地区と藤岡市中島地区の間に渡し船があった。今回は旧国道の柳瀬橋を渡り、かつて渡し場のあった辺りまで高崎伊勢崎自転車道の一部を歩くコースを通った。というのもガイドマップには中島地区の渡し場付近の集落の中に旧中山道の標識があると書かれていたからである。そこを過ぎた後また自転車道に戻って歩いたのだが、自動車が通らず見通しも良いので気持ち良く歩けるが、当然旧街道の面影はない。関越自動車道をくぐって伊勢嶋神社を見つけて、ようやく中山道を歩いていることを実感した。
岩鼻町交差点を右折し県道13号線に入るとすぐに烏川に架かる柳瀬橋を渡る
立派な塀を張り巡らした川端家の前を通る
伊勢嶋神社の前を通って、やっと旧街道であることを確認
~ つづく ~