[22日目] 13:高崎~12:倉賀野~11:新町~10:本庄 (2012.10.9)③

倉賀野宿には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠32軒あり、城下町で本陣や脇本陣を設けずに旅籠が15軒だけだった高崎宿よりも宿場の規模としては大きかった。宿場に入るとすぐ右奥に倉賀野神社がある。

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宿場に入ってすぐの右の路地奥に倉賀野神社がある

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倉賀野神社の鳥居

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倉賀野神社の拝殿

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倉賀野神社の由来書

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倉賀野神社にある社寺廃合に伴う常夜燈、玉垣、太鼓橋などの変遷と倉賀野宿についての説明

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倉賀野神社から中山道に戻って宿場の中を進むと左手に復元された高札場がある

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高札場の斜め向かいに脇本陣跡の碑が立っていた               脇本陣跡の碑

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さらに高札場側の東側の、工事中の立派な門構えの旧家の前にも脇本陣跡の碑があった

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脇本陣跡の碑

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宿場の中心部、倉賀野駅入口の信号 大きなザックを背負った人に追い抜かれた

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駅入口の信号を過ぎ左手奥に浄土宗一行山光明院九品寺の仁王像が見えたので立ち寄ってみた

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倶會一處と書かれた碑のもとに多くの墓石を集め祀っている         山門前の六地蔵

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九品寺から街道に出た所のスーパーの駐車場に倉賀野宿本陣跡の碑が立っていた

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駐車場を過ぎたところに、倉賀野宿の碑や道祖神、燈籠などがまとまってあった

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立派な塀を張り巡らした旧家の前を通る

倉賀野宿を出ると日光例幣使街道と中仙道との分去れである閻魔堂がある。ここには閻魔堂の他、左・日光道、右・江戸道と彫られた道しるべや常夜燈などがある。例幣使とは京の朝廷が徳川家康を祀る日光東照宮へ捧げ物を持って行く勅使のことをいう。日光例幣使街道は倉賀野と日光の玄関口の今市とを結ぶ街道である。

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倉賀野宿の木戸を過ぎたところに日光例幣使街道中山道の分去れがある

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道しるべ、常夜燈、閻魔堂などが一か所にまとまっている 中山道はここを右に行く

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閻魔堂の前を通って新町宿へと向かう(11:35)

~ つづく ~