[21日目] 16:松井田~15:安中~14:板鼻~13:高崎 (2012.10.8)③
昼食が終わり高嶋屋の裏手に行くと、旧安中藩武家長屋と奉行役宅が並んで建っている。中に入って見学するには市民は只なのだが、一般は210円掛かる。入館券は奉行役宅で扱っているというのだが、この日は外から眺めて写真を撮るだけにした。
奉行役宅からそのまま東に抜けると、日本キリスト教団安中教会の前に出る。礼拝堂の見学は予約が必要とのことで、門も閉ざされていて礼拝堂を外から写真を撮ろうとしても木々に阻まれてしまい、全容が写せなくなっていた。教会の斜め向かいの角には町口門番所跡の碑があり、また教会の隣には旧碓氷郡役所の建物がある。いずれも案内板を一読し建物を写真に収め、坂道を下って旧街道に戻った。
再び旧街道を歩きだすと右側に郵便局があり、その前に本陣跡の碑が立っていた。さらに東に進んで行くと下野尻交差点で国道18号線にぶつかり、そこの歩道橋で反対車線へと渡った。
再び旧街道を東に向かって歩き出す
左手奥に浄土宗・大泉寺がある
伝馬町の安中郵便局前に安中宿本陣跡の碑がある(13:10)
下之尻地区も祭の準備が進んでいた
国道18号線に出たら歩道橋を渡る
国道18号線の歩道橋上から見た景色
碓氷川を渡る時に右側前方の斜面に、東邦亜鉛安中製錬所が見える。
僕は1970年代に大船に住んでいた頃、冬になると時々スキーをやりに志賀高原に行った。その時には必ずここを通ったという記憶が鮮明にある。というのも当時安中はイタイイタイ病やカドミ汚染米などの公害問題で話題の街だったからである。僕にとっては安中という地名は中山道の宿場町であるということよりも、公害問題の街という印象の方が圧倒的に強い。その公害の発生源としてこの工場の威容が僕の頭に刷り込まれてしまっていた。
碓氷川を渡る所は、国道化や拡幅などで橋が架けかえられたり、河川敷が整備されたりで、本来の街道が失われてしまっているが、中宿地区の一部の石仏や神社のある道に旧街道の痕跡が残っている。
僕は1970年代に大船に住んでいた頃、冬になると時々スキーをやりに志賀高原に行った。その時には必ずここを通ったという記憶が鮮明にある。というのも当時安中はイタイイタイ病やカドミ汚染米などの公害問題で話題の街だったからである。僕にとっては安中という地名は中山道の宿場町であるということよりも、公害問題の街という印象の方が圧倒的に強い。その公害の発生源としてこの工場の威容が僕の頭に刷り込まれてしまっていた。
碓氷川を渡る所は、国道化や拡幅などで橋が架けかえられたり、河川敷が整備されたりで、本来の街道が失われてしまっているが、中宿地区の一部の石仏や神社のある道に旧街道の痕跡が残っている。
街道はピンクの点線を通っていたが、中宿地区を現在は赤矢印のように通る
右側から来ているのが旧街道
~ つづく ~