3日目(9月26日) ホイアン市内観光、夕食

ミーソン遺跡の見学のあとはホイアン市内に行き、まずシルク工場でのショッピング。蚕に桑を食べさせ繭にするところから、糸をつむぎ、色を染め、シルク生地に織る工程を実演して見せてくれる。その後生地に細かな刺繍を施して行くのだが、手先が器用で勤勉なベトナムの女性に向いているようで、写真や絵画と見間違えるほどの出来映え。記念に額入りの刺繍を一枚買い求めた。

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シルク生産の実演、蚕繭から糸を紡ぐ                    絹を織りこむ

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細かな刺繍作業

一旦次の乗車地点に移動したバスを呼び戻して、シルク工場で買った土産をバスの座席に載せる。そしてシルク工場の前からシクロといわれる、自転車の前ハンドルの部分に人力車をくっつけた乗り物に乗車する。シクロは一人1台で、料金はツアー料金に含まれていて、降りた時に車夫にチップとして渡すよう一人一人に1ドル札も渡された。あいにくの雨で覆いやビニール製の前掛けをした状態であるので見晴らしが良いとは言えないが、歩く時よりも一段低い視線で街の中を見れるので新鮮な感じがした。10分ほどして来遠橋近くのトゥポン川の畔でシクロを降りた。

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シルク工場の前からシクロと呼ばれる乗り物に試乗体験

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シクロに座って道を行くと視線が低くて新鮮な感じがする

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トゥポン川の畔でシクロを降りる                   降りる前に記念撮影

ホイアンは海のシルクロードの港町として栄えていた。16~17世紀初頭には日本人街もあったと言うが、徳川幕府鎖国政策により消滅した。当時日本人街はライオン橋の東側にあって橋の反対側に中国人が住んでいたと言われているが確証はない。日本人が撤退してからできたのかも知れないが、東側にも福建会館など中国関連の建物もある。
そしてその当時の日本人の手で屋根付の来遠橋(らいおんばし…日本橋ともいう)が設置されたと言われている。橋の東端には犬の像、右橋には猿の像があるのは、今の日本と中国が犬猿の仲であることを予言していたのだろうか?それとも当時も犬猿の仲だったのだろうか?

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16世紀末のホイアンには日本人街があり、来遠橋は日本人が作ったと言われている

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橋の東端にある犬の像                       橋の西端にある猿の像

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橋の中央にある寺院でお参りしていく人も多い

来遠橋の付近では天秤棒でフルーツを担いだ女性たちが、カメラを構えた観光客を見るとさっと寄ってきて果物を買わないかと差し出す。グループの一人が天秤棒を担いで写真を撮りたいと身振りで示すとOKのサイン。写真のお礼に1ドルを渡そうとしたら、バナナやら珍しいフルーツやらを一袋に詰めてくれた。写真に写り込むだけで金を要求する国にこの間行ったばかりだったが、ここではフルーツを売るのが仕事なのだからフルーツを買ってくれたお礼に天秤棒を担がせてくれたということらしい。貰ったフルーツの量が数人で食べきれる量ではなく、ツアーの参加者全員におこぼれが回ってきた。

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橋の西側で天秤棒を肩に果物を商う女性

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貿易商の馮興(フーンフン)家は中・越・日の建築様式が混在  洪水時は2階に荷物を上げた

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馮興家の2階のテラスから見た来遠橋から西側の通り

この日の夕食も名物料理。4人前ずつ大皿で出て来るのは変わらないが、ホイアン名物が何点か出た。米粉の麺が特徴なのだが、ここのカオ・ラウという麺はうどんのようにコシが強かった。ホワイトローズは白玉でエビを包んで蒸しヌックマムを付けて食べる。揚げワンタンもおいしかった。

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夕食を食べたレストラン「レー・バー・トゥエンⅡ」の入口

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4人前ずつ大皿に載って出て来たホイアンの名物料理 左上ホワイトローズ、右上揚げワンタン

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この日もビールをいただいた 料理は品数も多くどれも日本人の口に合う

この日は夜になって一段と雨脚が強く、明日の観光にも影響が出そうな雰囲気。ビーチリゾートなので開放的な窓になっているのだが、しっかりと閉め切って眠りに着いた。

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この日の泊りはリバービーチリゾート   雨が強くなって来たので窓を完全に閉め切って寝た

~つづく~