7日目(5月20日)リスボン・ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメント

ポルトガルで最初の立ち寄り先エボラで昼食を摂った後、125kmほど離れた首都リスボンに向かった。この旅の前半で訪れた世界遺産の街トレドを流れていたタホ川が途中からテージョ川に合流し、ここリスボンで大西洋に流れ込んでいるのだが、その河口に架かる全長2278mの4月25日橋(Ponte 25 de Abril)を渡ってリスボンの市内へと入って行った。

イメージ 1
ポルトガルの高速道路にも料金所はあった

イメージ 2
テージョ川に架かる4月25日橋を渡る 左手に高さ110mのクリスト・レイ

まず最初に訪れたのがジェロニモ修道院。ところがこの日はセレモニーの真っ最中とのことで入場口がごった返していてすぐに中へと入れてもらえなかった。なんでも日本でいう7・5・3のようなもので、ポルトガルでは7・8・9歳の子供たちのためのミサとのことだった。それでもガイドさんのコネで礼拝の長椅子部分までは進めないものの、礼拝堂の内部に入ることができた。
その後中庭と回廊や食堂を案内され、さらに礼拝堂の2階にあたる聖歌隊席からミサの様子を覗く。

イメージ 3イメージ 4
今度は橋の下をくぐる              最初の下車ポイントはジェロニモ修道院


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/O/OSAMU1950/20010101/20010101001540.jpg
ジェロニモ修道院の東塔部分…再掲

イメージ 6
入口は入場制限が掛けられて混雑していた

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/O/OSAMU1950/20010101/20010101001550.jpg
中ではミサが行なわれていて、聖歌隊席からその様子を見ることができた…再掲

イメージ 7
中庭と回廊

イメージ 8
食堂 壁面の腰部分にはタイル画

イメージ 9
ヨセフの生涯を描いたタイル画の一部

イメージ 10
中庭での重要観光ポイントである「獅子の泉」の前で長時間キッスを交わすカップ

イメージ 11イメージ 12
回廊の柱の隙間から                           柱の透かし彫り

イメージ 13
礼拝堂内の十字架を担ぐキリスト

イメージ 14イメージ 15
回廊2階部分から覗いたらキッス魔は消えていた            回廊から東塔を写す

ジェロニモ修道院を出た後は川岸側にバスで移動し、まず16世紀の初めに船の出入りを監視する要塞として建てられたベレンの塔に行った。
次いで少し移動して発見のモニュメントを訪れたのだが、バスを降りる時は降っていなかったので車内に傘を置いて出たら、各所の発見年代を記した世界地図の上でバスコ・ダ・ガマ喜望峰を回ってインド航路を発明したという説明の最中に雨が降り出した。急いで写真を何枚か写してバスに戻った。ちなみにポルトガル人による日本の発見は、鉄砲伝来の1543年ではなく、その2年前の1541年となっていた。豊後の国に漂着した年だということである。

イメージ 16
ベレンの塔付近から見た4月25日橋

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/O/OSAMU1950/20010101/20010101001600.jpg
河口に建つベレンの塔…再掲

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/O/OSAMU1950/20010101/20010101001610.jpg
発見のモニュメントの写真を撮っている時、一時的に雨脚が強まった…再掲

イメージ 17
発見のモニュメント前にある世界地図 日本は1541年に「発見」された

この日は「ファドショー」を見ながらのディナーということで、17時半少し前にマリオット・リスボンというホテルに一旦入った。

イメージ 18イメージ 19
この日からマリオット・リスボンで2泊               ホテルのレセプション

イメージ 20
泊った部屋の内部